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あるコロンビア売春婦と一年間恋人関係にあった私は、不法滞在で強制送還された彼女を追いかけてコロンビア本国に渡って彼女の家を訪ねた。そこで見たものは…
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エバと二人でタクシーに乗り込み、ボゴタ市内に向かった。エバはアパートまで三十分くらいだと言った。市内に向かう道は完全に舗装されていて、道幅もかなり広い。そして、街路樹などもきれいに整備されている。

道の両側の家並みも、それなりにきちんとしていた。空港に着陸する寸前に、上空からボゴタの街並みを見たが、赤茶色に屋根が塗られた一軒家が整然と立ち並んでいるのが印象的だった。その風景は、ロサンゼルス上空から郊外の住宅地を見たのとあまり変わらなかった。

エバは、日本でわたしと金銭的な問題で喧嘩したとき、いつも「あなたはコロンビアの貧しさが分からないから、そういうことを言うんだ」と言っていた。確かに貧しいから出稼ぎに来るのだろうが、空港から少し離れただけでスラムが目に飛び込んで来るフィリピンなどに比べると、道路などのインフラがしっかりしていて、どこが貧しいのかと思ってしまう。

貨幣価値はフィリピンとほとんど同じで、日本の十分の一なのに、それほど悲惨さを感じさせない。もちろん、本格的なスラム街は別にあるのだろうが、タクシーで見ている限り、オーストラリアあたりの地方都市を走っているような錯覚を覚えた。

わたしは急に膨らんでしまった財布が気になり、財布をポケットから取り出して、両替したばかりのコロンビア紙幣を見ようとした。すると、エバが「ダメ、危ない」と言って制した。人前で財布を見せてはいけないと言うのだ。

確かに開発途上国で、人前で財布を見せる行為は、盗んでくれと言わんばかりの行為となる。しかし、走っているタクシーの後部座席で、しかも運転手の真後ろに座っているわたしは死角になる。見えるはずがない。見えるとすれば、走っているバスの窓からくらいだろう。

それでも、エバはわたしに注意を促した。その神経の使いように、改めて危険な国に来てしまったのだということを実感させた。

 


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地球の裏側のコロンビアなど、いくら海外旅行が気楽に出来るようになったといっても、そうそう簡単には行けない。たとえ行ったとしても、何のツテもなくては、ただの観光旅行になってしまう。

フィリピンパブにいるフィリピーナは、店に来る初対面のお客さんにも簡単に本国の連絡先を教えてしまうが、コロンビアーナたちは特別な関係の男にしか教えない。

彼女たちの仕事は、「売春」がほとんどだ。本国に戻ったら、日本での汚い仕事はきれいさっぱり忘れて、幸せな家庭を作りたいと誰もが思っている。たとえ何かの拍子に、コロンビアでの連絡先を聞いたとしても、のこのこ会いに行ったら迷惑がられるに決まっている。わたしも何度も、そういう目にあった男の話を聞いている。

だが、エバとは通算二年間の付き合いがあった。何度も喧嘩別れしたが、最後の裁判騒動で、元の鞘に納まったはずだった。それに、一週間前の電話でも、必ず迎えに来ると約束していたのだ。

少し不安になって、彼女のアパートに電話してみることにした。彼女のアパートは、呼び出し電話になっていた。アパートの管理人が取り次ぐので、面倒な内容のスペイン語が分からないわたしに代わって、エレーナの隣りにいた男が電話をしてくれた。

男は電話を終え、「彼女は三十分前にアパートを出た。たぶん、道が混んでいるんだろう」と言った。それを聞いた片山氏は、「何やってんだ、ビッキーは。道が混むくらいのこと、ここに住んでんだから、分かってんだろう。早目に来て待ってるのが当然なのに」と少し怒ったように言った。「ビッキー」とは、エバの日本での源氏名だった。

コロンビアーナに限らず、ラティーナたちは必ずといっていいくらい時間にルーズだ。約束の時間にやって来ることは、まずない。エバも、いつも三十分くらい遅れて来た。しかし、この日はわたしが地球の裏側まで会いにやって来た特別な日だ。片山氏の言うように、早めに来て待っていて当然だった。実際、片山氏のワイフは空港で時間どおりに我々を待っていたのだ。

わたしの胸に、少し不安がよぎった。

すると突然、「オラ!」と言う声が聞こえた。エバだった。彼女はわたしの頬にキスをしたあと、片山氏の頬にもキスをして戻って来た。エバと片山氏も、以前から面識はあった。エバと六本木で遊んでいるときばったり会ったこともあり、わたしとエバの関係もよく知っていた。それで、エバが逮捕されたあと、その道の事情に詳しい片山氏に何かと相談していたのだ。

わたしはエバが遅れて来たのを片山氏たちに恥ずかしく思い、「エバ、遅いじゃないか」と怒って言った。エバは「ごめんなさい」とだけ言った。エバはエレーナとも挨拶し、しばらくの間、女同士で話していた。

片山氏たちは、そのまま国内線でカリブ海沿岸の有名なリゾート地、カルタヘナに行くことになっていた。カルタヘナはエレーナの出身地で、彼女と彼女の子供は、送還後はそこに住んでいた。

片山氏たちの出発時間が迫ったので、エレーナのお付きの男たちが荷物を運び出した。わたしの荷物にも手をかけたので、「ノー。わたし、カルタヘナには行かない。ボゴタにいる」と言った。エレーナはビックリして、「どうして。ボゴタ、何もないよ。面白くない。カルタヘナ、遊びいっぱいある」と、たどたどしい日本語で言った。

ボゴタが面白いかどうか、初めて来たわたしには分からない。とにかくわたしは、まずエバのいるボゴタを見る必要があった。二人だけで、じっくり話し合いたかった。エレーナには、「しばらくしたらカルタヘナに行くから」と言って断った。

先ほどの男がわたしの荷物をタクシーまで運んでくれた。エレーナの身内の者が親切にやってくれたのだと思っていたら、しっかりチップを要求された。それもドルでだ。身内などでなく、ただの空港にいるたかりの類だったのだ。

しかし、タイやフィリピンの空港のひどさを見慣れているわたしにとって、それほどしつこくなく自然な感じだったので、てっきりエレーナの身内だとばかり思っていたのだ。


迎えに来るはずのエバとは、一月以来、三ヶ月ぶりの再会となるはずだった。

彼女は日本のストリップ劇場や売春スナックを転々とする仕事をしていた売春婦だった。前年の十一月に、四国のある空港で職務質問を受け、不法滞在が発覚して逮捕された。通常なら、不法滞在だけならすぐに入管に送られ、一週間から十日程度で強制送還される。

ところが不運なことに、この年になってから処罰が厳しくなり、二年以上の不法滞在に対しては、当局が裁判で処分するようになった。不運は重なるもので、彼女は二年をわずか十日ほどオーバーしていた。それで起訴され、一月に裁判を受けるまで、通算三ヶ月の獄中生活を送ったのだ。

彼女とは一年ほど「恋人関係」だったわたしは、逮捕されたと聞いて、四国の警察署まで面会に行った。そのころは、もう関係は冷えていて、彼女には別の「恋人」がいたはずだった。だから、一週間で送還されるものと思っていたわたしは、最後に一度だけ会って、別れを言うつもりだった。

ところが、警察に行ってみると、誰も彼女に会いに来ていなかった。それもそのはず、彼女は同僚にさえ、自分の本名を教えようとはしなかったくらい警戒感の強い女だったから、面会に行くのに必要な彼女の本名を知っているのは、ごくわずかの人間だけだった。そのうえ、往復で五、六万円もかかる四国くんだりまで売春婦に面会に行こうという奇特な男はいなかったのだろう。

予想に反して彼女は起訴され、裁判となったために、拘留が長期化した。「助けて」という彼女の言葉にほだされ、わたしは二週間に一度、四国まで面会に行った。最後の方は、飛行機で行く金がなくて、深夜バスで往復した。彼女のコロンビアの家族とも連絡を取り、裁判の行方を報告し、相互のメッセージを伝えた。

ようやく一月に裁判の判決が出た。懲役一年、執行猶予三年だった。執行猶予がついた彼女は、即刻大阪の入管に移送された。大阪の入管で最後の面会に行ったとき、彼女は「あなた、いつコロンビアに来る?」と聞いた。わたしは「四月に休みを取って行く」と約束した。それで、はるか地球の裏側のコロンビアまで二日がかりでやってきたのだ。

彼女と付き合いだしたときから、いつかコロンビアに行ってやろうとは決めていた。日本にいるコロンビアーナたちなら何十人も知っていた。彼女たち売春婦の日本での生活ぶりなら、たいていのことは分かる。

しかし、その彼女たちが、コロンビア本国でどういう生活をしていて、どういう事情から日本に売春まで覚悟してやって来たのか。また、帰国してからどういう生活に戻ったのか、まったく本当のことは分からなかった。

タイやフィリピンの女のことなら、かなりの本が出版され、それなりのことは分かる。だが、コロンビアーナのことについては皆無だった。たまに雑誌などで書かれていても、お話にならないくらい表面的かつ間違いだらけの記事ばかりだった。いつかぜひ、この目で確かめてみたかったのだ。


  四月某日の朝九時半、南米コロンビアの首都、ボゴタのエル・ドラド空港に降り立った。南国特有の抜けるような空の青さを期待していたが、晴天だったものの、ぼんやりとした青さで、日本の空とあまり変わりがなかった。トランジットで立ち寄ったロサンゼルスの空の青さの方が、異国に来たような気分にさせた。

成田空港を発ってから、丸二日がかりの到着だった。その身体に染み込んだ時間の長さの方が、コロンビアに来た実感を叩き込んだ。

ボゴタは赤道直下に近いとはいえ、標高二千六百メートルもの高地にある。気温は平均して約十五度。長袖のジャケットがないと肌寒いほどで、東京で着ていた春服でちょうど間に合った。

高地のため酸素が薄く、人によっては高山病にかかるといわれているが、頭痛がするとか、吐き気がするという兆候はまったくなかった。ただ眠かった。二日間、断続的にしか眠れなかったのと、時差ぼけのためだろう。

入管はすんなり通過した。厳しいチェックを予想して、入国の目的とか滞在日数を聞かれたときのために、スペイン語の受け答えを勉強していたのだが、そんな必要はまったくなかった。無言で九十日の観光ビザのスタンプを押されただけだった。おそらくコロンビアの場合、麻薬などの密輸の関係で、日本のように入国の際ではなく、出国のときの方が問題にされるのだろう。

入管を出たところで、同行の片山氏が「あ、ワイフがいた」とつぶやいた。片山氏はコロンビア女性と結婚し、子供をもうけていたのだが、ある事情で妻子は二年前に強制送還されていた。わたしがコロンビアにひとりで行くと言うと、久しぶりに自分の子供の顔が見たくてたまらなくなったので、休みを取っていっしょに行くと言い出し、同行することになったのだ。

ただし、わたしは三ヶ月ほど前に強制送還されていた、かつての恋人エバに会うのが目的だったので、空港で別れて別行動し、一週間後に再会する約束にしていた。

空港のロビーに出ると、数人の男といっしょに片山氏のワイフ、エレーナがいた。三十ちょっと過ぎの小柄な女性だった。

ところが、わたしを迎えに来ているはずのエバの姿がなかった。エバには、一週間前に到着便の時間を国際電話で連絡していた。日にちを間違えているのだろうか。それともゲートを間違えているのだろうか。

わたしは荷物を片山氏たちに預け、あたり一帯を捜してみたが、彼女はいなかった。捜している最中に、両替所を見つけたので三百ドルほど両替した。コロンビアでは東南アジアのように日本円を両替できるところはほとんどない。それで成田空港で数万円を残し、三十万円ほどをドル札とドルのトラベラーズチェックに替えておいた。二度手間で、その分手数料がかかるがしょうがなかった。

三百ドルは、約三十万コロンビアペソになった。一万ペソ札と五千ペソ札、千ペソ札を混ぜてくれたので、わずか百ドル札三枚が五十枚ほどの札束に変わった。急に金持ちになったような気になった。

  14年前、私はコロンビアを訪問した。ただの観光旅行ではない。当時、一年
ほど恋人関係にあったコロンビア人女性が不法滞在で逮捕され、強制送還さ
れていた。その彼女から、強制送還される直前の面会で、「コロンビアに会い
に来て」と言われたからだ。

彼女は、ストリッパーを主に仕事をする、売春婦だった。売春婦のことをスペ
イン語では「プータ」と言う。彼女は当時23歳だった。来日するまで男性経験は
1人だけの普通の大学生だった

その彼女が、なぜ地球の裏側の日本まで来て売春婦となったのか。

そして、帰国した後、どういう生活が待ち受けているのか。彼女と付き合い始
めた当時から、いつかこの目で確かめたいという衝動が続いていた。

当時、チリのアニータのような南米系売春婦は、日本に何万人もいた。新宿
・歌舞伎町には彼女たち売春婦が仕事を終えて朝まで踊り狂うラテン系ディス
コがいくつもあった。週末のそこは、もはや日本ではなかった。彼女たちとの付
き合いを通じて、警察の取り締まりを恐れながらも、したたかに、たくましく生き
抜く南米系売春婦たちの生態を誰よりも見てきた。

コロンビアに帰国した彼女を待ち受けていたのは、けっしてアニータのように
「ジャパニーズ・ドリーム」を体現したものではなかった。送金した金の一部は
実の姉に盗られていて、仕事もなく、毎日目減りする貯金残高に心を痛めてい
た。
大学への復学もうまくいかなかった。

私も諸手を挙げて歓迎されたわけではなかった。彼女と2人で、お姉さんた
ちの実家やコロンビアの観光地を巡り歩いたが、「私が日本語を喋ると、日本
に売春に行っていたとみんなに思われる。お願いだからスペイン語だけ喋って」
と言われた。
コロンビアでは、日本人と一緒にいるだけで白い目で見られたのだ。

ここでは、あるコロンビア女性を通じて、なぜ日本に売春を覚悟して来たのか、
日本でどういう生活をしていたのか、コロンビアに帰国して、彼女は何を得て、
何を失ったのか。その全てを綴っていく。

プロフィール
HN:
出町柳次
性別:
男性
職業:
フリーライター
趣味:
ネットでナンパ
自己紹介:
フリーライター。国際版SNS30サイト以上登録してネットナンパで国連加盟国193カ国の女性を生涯かけて制覇することをライフワークにしている50代の中年。現在、日刊スポーツにコラム連載中(毎週土曜日)。
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