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エバは手を見せた。赤くパンパンに腫れていた。
「しもやけだな」
「そう」
「クスリはもらっているのか」
「もらった「リュージ。これ見て」
。でも、ここ寒い。治らない」
刑務所では、手を常に外に出していなくてはならないとか、さまざまな細かい規則があると聞いていた。手袋が欲しいとは言わなかったから、手袋は許されないのだろう。
しもやけなんて、わたしの子供のころ以来、見たことがなかった。あのころは、冬になるとほとんどの子供がほっぺたを赤くして、手にはしもやけを作っていた。暖房設備が行き届いた現在では、よほどの寒村でも行かないと、しもやけしている姿なんて見られない。M市は南国だから、暖房なんてなくても凍え死ぬことはないと、お上は判断しているのだろう。
「弁護士は来たの」
「まだ来ない。あなたのほかには通訳の女の人が一週間に一回来るだけ。わたし、寂しい。彼女にお願いしてる。彼女、やさしい」
「じゃ、弁護士に電話しておくよ。どうなっているか心配だし」
「ありがとう、リュージ。わたし、待ってるね」
裁判の日程が決まったというのは朗報だった。ようやく先が見えてきたのだ。だが、弁護士が一回も面会に来ていないというのは心配だった。エバとの面会を終え、市内に戻って公衆電話から弁護士事務所に電話をかけた。あいにく不在だった。夕方戻ってくると事務員は言った。
帰りの深夜バスの出発時間まで、かなりの時間がある。パチンコの誘惑が頭をよぎった。M市に来て勝ったのは最初の一回目だけだった。一見の店に行って、そんなに続けて勝てるものではない。負けるとは分かっていたが、三千円だけ突っ込んで、負けたらサウナで休憩しようと思って店に入ったが、案の定負けた。熱くなると取り返しがつかないと思い、サウナで時間をつぶした。
夕方、もう一度弁護士事務所に電話してみた。弁護士はつかまった。エバが弁護士が来ないので心配している旨を伝えると、忙しかったので行けなかったが、近々行くつもりだと言った。裁判の見通しを尋ねると、たぶん一回の判決で執行猶予付きの判決が出て、それから入管に送られて強制送還になると思うが、断言はできないという弁護士らしい慎重な答えだった。やはり国選で金にならないと、後回しにされるのだろうなと感じた。
彼女の所持金についても、弁護士に話した。現金で持って帰ると危ないので、わたしが送金を頼まれていること。もし、わたしが送金するのに問題があるのなら、弁護士のほうでやってもらいたいと伝えた。だが、送金については「彼女と相談して決める」と言われた。国選で、そこまで面倒なことはやれないと気持ちが、彼の口ぶりからうかがわれた。
クリスマス直後の二十六日に面会に行った。前回から飛行機代を節約して、深夜バスで行ったのだが、このときは途中で大雪となり、到着予定の朝になっても、まだバスは三重県に入ったところだった。
途中で降りるわけにはいかないので我慢して乗っていたが、夕方になってようやく神戸に着いたところで我慢の限界を超えた。このままだと着くのは翌朝になってしまうらしい。バスも片道分払い戻してくれるというので、神戸で降りて新幹線と在来線を乗り継いで、深夜にM市にたどり着いた。そのままカプセルホテルに泊まって、翌朝面会に行ったのだ。
深夜バスは完全リクライニングになっていて、普通の観光バスや長距離バスに比べてはるかに楽だが、三十時間の長旅はこたえた。もう金輪際冬場の深夜バスには乗るまいと思ったほどだった。
「リュージ、クリスマスに来てくれてありがとう。わたし寂しかった」
エバはセーター姿で面会室に現れた。わたしはセーターを差し入れた覚えはない。おかしいなと思って、「誰か面会に来たのか」と聞くと、彼女はあっさりと「友だちがN市から来た」と言った。N市は北関東のある都市で、エバが本拠地にしていた仕事場のひとつがあるところだった。
面会に来たということは、エバの本名を知っているということである。彼女の身を案じた一番の親友であるクラウディアにさえ、コロンビアの連絡先を教えるなといった彼女のことだから、よほど親しい関係である。少なくとも「お客さん」レベルでないことは確かだ。わたしはこんなに苦労して面会にやって来ているのに、まだ二股かけられていると思ったら、バカらしくなってしまった。
「エバ。恋人が来るのだったら、俺はもうここに来ないよ」
「違う。恋人じゃない。友だち」
「いつ来たんだ」
「二週間前」
「今度、いつ彼は来るんだ」
「知らない。たぶん来ない。だから、あなたここに来る」
「どうして来ない」
「彼、遠い」
遠いといったら、ここからN市と東京はどっこいどっこいだ。羽田空港へのアクセス時間が一時間ほど余分にかかるという程度に過ぎない。一回わずか十五分面会するために、六万円も七万円もかけて来る阿呆はわたしだけだと思っていた。おそらくその男もわたしと同じように「一回だけ」と思って面会に来たのだろう。だが、エバのことだ。わたしと同じように、「あなただけ。助けて」と言われたのではないか。いや、エバは正直に「前の恋人が面会に来ている」と言った可能性もある。わたしの頭の中をいろんな思いが錯綜した。
しかし、その男がクリスマスに来なかったのは確からしい。高い金を払ってここに来ても、彼女とセックスできるわけではない。普通の男なら、さっさと見切りをつけ、新しい女を見つけるのに精を出すだろう。その不安もあって、エバはわたしを頼っているのではないか。
わたしは騙されてもいいから、この際、最後まで見届ける覚悟を決めた。
「リュージ。裁判、決まった。一月十七日。あなた、来る?」
「知ってる。手紙が来た。行く。でも、お金ないから、それまではここに来れないよ」
「だいじょうぶ。それ、お姉さんに伝えて」
「オーケー。でも、手紙にお姉さんの手紙はお金がかかるからいらないと書いてあったけど、いくらかかるの」
「三千円」
「えっ、三千円?」
わたしは金額を聞いて驚いてしまった。かけがえのない肉親からの手紙をいらないというのだから、二万円くらいはするのだろうと思っていたのだ。分量にもよるだろうが、翻訳のために刑務所を往復したりする交通費や手間賃を考えると、そのくらいが妥当な額だと思っていた。手紙だって、毎日来るわけではない。せいぜい二週間か一ヶ月に一回だろう。大金を持っているのだから、そのくらいケチらなくてもいいのにと思ったが、一円でも多く国に持って帰りたいと思っているのだろう。しまり屋のエバらしかった。
「コロンビアのお姉さんから、宅急便がきた。服とかお菓子とかいっぱい入ってた。そんなにいらないのに」
エバが苦笑しながら言った。お姉さんのリリアナは、獄中で寂しい思いをしているエバのためを思って、必死で必要だと思うものをかき集めて送ったのだろう。だが、お菓子などはおそらく食べられないだろうし、洋服だって、帰るときにはほとんど捨てなければならないはずだ。リリアナが送ったものは、ほとんど無駄になるだろう。
東京に戻ってから、エバの同僚の女の子たちにスペイン語の古雑誌をかき集めてもらい、エバが好きそうな心理学の本といっしょに宅急便で送っておいた。獄中で退屈しないようにと思ったのだ。
一週間ほどして、エバから手紙が届いた。手紙はスペイン語ではなく、ローマ字表記でたどたどしく書いてあった。内容は次のようなものだった。
「リュージ。元気ですか。エバは元気です。お姉さんに電話してくれて、本当にありがとう。とてもうれしいです。裁判の日にちが決まりました。一月十六日の午前十時です。プレゼントのスペイン語の本、とてもうれしかったです。
お姉さんから手紙が来ました。うれしいけれど、スペイン語の手紙には、お金がかかります。だから、お姉さんに伝えてください。『来ても、出しても通訳がかかりますから、手紙は一回だけで、あとはいりません。エバは元気ですから心配ない、大丈夫です。お姉さんの手紙、ハッピーだけど、困ります。ごめんなさい』と。
リュージの手紙もローマ字で書いてください。エバ」
手紙の文頭に、「ローマ字です」ときれいな日本語で書いてあった。おそらく同房の女性に手助けしてもらって書いたのだろう。だが、検閲のためにスペイン語の手紙に翻訳料がかかるとは初めて知った。その翻訳料がもったいないので、お姉さんの手紙はいらないというのだ。よほどかかるのだろうと思った。さっそく、レストランのママを通じて、彼女のお姉さんのリリアナに伝えてもらった。
それから二週間後にまた彼女のもとを訪れた。すでに十二月に入っていた。温暖な四国といっても、さすがに寒さが厳しくなり、面会の待合室にはストーブが入っていた。その日は面会者が少なく、二十代のパンチパーマの男がひとりいるだけだった。彼は「寒うなったねえ」と、四国弁で話しかけてきた。彼はここの待遇の悪さを、わたしに同意を求めるように話し出した。わたしは適当に相づちを打った。おそらく兄貴分が収容されているのだろう。わたしも同業だと思われたのかと思って、心の中で苦笑した。まもなく面会の順番が回ってきた。一ヶ月以上も拘留生活が続いたわりには、エバは元気そうだった。
「リュージ。もうすぐクリスマス来る。わたし、ひとりでクリスマス過ごすの寂しい。だから、あなた、クリスマスの日にここに来て。お願い」
「分かったよ。でも、クリスマスの日は休みじゃないから来れないかもしれないよ。二十六日くらいだったら来れると思う」
「それでいい。お願い、来て。あと、弁護士決まった」
「本当か。名前は?」
「○○××」
「分かった。調べて、電話しておくよ。ちゃんとやってくれるように」
「ありがとね、リュージ」
刑務所をあとにして市内に戻り、わたしは電話帳で弁護士事務所を調べて電話をかけた。裁判の予定や見とおしを聞くためだった。だが、応対してくれた弁護士は、まだ何も決まっていないと言うのみだった。わたしは「よろしくお願いします」と言って電話を終えた。
二週間後、わたしは再びM市を訪れた。サリーの要望は一応彼女に伝え、その決断は彼女に任せると言った。それ以来、二週間ごとに彼女のもとを訪れた。裁判の予定はいっこうに決まらなかった。弁護士さえ、なかなか決まらなかった。
いろいろ聞いてみると、彼女のようなケースはおそらく一回の公判で判決が出て、即刻入管に送られて強制送還するだろうと言われた。それなら私選弁護人を付けなくても、国選弁護人で間に合うはずだった。だが、一ヶ月以上たっても国選弁護人が決まったという話はないらしい。
友人の弁護士に相談してみると、どうせ一回で判決が出るだろうから、ただで引き受けても言いといってくれた。しかし、裁判の前に一回、判決の日にも行かなくてはならないから、二~三回M市に行く交通費だけは負担してくれと言う。約二十万円はかかりそうだった。
エバが恐れていたのは、強制送還にならずに実刑をくらって、判決後も何ヵ月も刑務所で暮らすことだった。
「私選弁護士を付けたら、絶対にわたしはコロンビアに帰れるの」
エバはわたしに尋ねた。
「いや、それは分からない。たぶん帰れるとは思うけど、こればかりは判決が出ないと分からないよ。私選にしても、国選にしても、たいして変わりはないと思う。ただ、俺の友だちだから、安心できるけど」
国選だったら、俺の知らない人だから、きちんとやってくれるかどうか分からない。なにせ国選弁護士というのは、国から支払われる弁護士報酬は五万円に過ぎないという。ただでさえ刑事事件は民事に比べて安いのに、これでは割に合わないからなり手がいない。だから当番制にしているそうだ。いわゆる「人権派」の弁護士に当たったらいいが、手を抜かれてエバが実刑を食らったらかわいそうなので、万一のことを思って私選にしようかと思ったのだ。
「エバ。俺の友だちの弁護士、ただでやってもいいと言ってる。でも、飛行機のお金は払わないとダメだ。払えるか、二十万円。俺が払ってもいいけど、そうすると、俺はもうここには来れない。二人もここに来たら、すごくお金がかかるからな。どうする?」
エバはしばらく沈黙してから言った。
「いらない。国選でいい。だから、あなたここに来て」
わたしに会いたいから私選弁護士を断ったんだろうと言いたいところだが、本当は二十万円を払うのが嫌だったんだろうと思う。三百五十万円持っているのだから、それくらいいいのではないかと日本人のわたしなどは思うのだが、コロンビアに帰れば半年以上は暮らせる大金だ。確実に強制送還されるという保証がない以上、彼女がケチったのも無理はなかった。わたしも彼女が麻薬所持などの余罪がない限り、通例は有罪判決のあと強制送還されるだろうと聞いていたから、無理強いはしなかった。
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