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四月某日の朝九時半、南米コロンビアの首都、ボゴタのエル・ドラド空港に降り立った。南国特有の抜けるような空の青さを期待していたが、晴天だったものの、ぼんやりとした青さで、日本の空とあまり変わりがなかった。トランジットで立ち寄ったロサンゼルスの空の青さの方が、異国に来たような気分にさせた。
成田空港を発ってから、丸二日がかりの到着だった。その身体に染み込んだ時間の長さの方が、コロンビアに来た実感を叩き込んだ。
ボゴタは赤道直下に近いとはいえ、標高二千六百メートルもの高地にある。気温は平均して約十五度。長袖のジャケットがないと肌寒いほどで、東京で着ていた春服でちょうど間に合った。
高地のため酸素が薄く、人によっては高山病にかかるといわれているが、頭痛がするとか、吐き気がするという兆候はまったくなかった。ただ眠かった。二日間、断続的にしか眠れなかったのと、時差ぼけのためだろう。
入管はすんなり通過した。厳しいチェックを予想して、入国の目的とか滞在日数を聞かれたときのために、スペイン語の受け答えを勉強していたのだが、そんな必要はまったくなかった。無言で九十日の観光ビザのスタンプを押されただけだった。おそらくコロンビアの場合、麻薬などの密輸の関係で、日本のように入国の際ではなく、出国のときの方が問題にされるのだろう。
入管を出たところで、同行の片山氏が「あ、ワイフがいた」とつぶやいた。片山氏はコロンビア女性と結婚し、子供をもうけていたのだが、ある事情で妻子は二年前に強制送還されていた。わたしがコロンビアにひとりで行くと言うと、久しぶりに自分の子供の顔が見たくてたまらなくなったので、休みを取っていっしょに行くと言い出し、同行することになったのだ。
ただし、わたしは三ヶ月ほど前に強制送還されていた、かつての恋人エバに会うのが目的だったので、空港で別れて別行動し、一週間後に再会する約束にしていた。
空港のロビーに出ると、数人の男といっしょに片山氏のワイフ、エレーナがいた。三十ちょっと過ぎの小柄な女性だった。
ところが、わたしを迎えに来ているはずのエバの姿がなかった。エバには、一週間前に到着便の時間を国際電話で連絡していた。日にちを間違えているのだろうか。それともゲートを間違えているのだろうか。
わたしは荷物を片山氏たちに預け、あたり一帯を捜してみたが、彼女はいなかった。捜している最中に、両替所を見つけたので三百ドルほど両替した。コロンビアでは東南アジアのように日本円を両替できるところはほとんどない。それで成田空港で数万円を残し、三十万円ほどをドル札とドルのトラベラーズチェックに替えておいた。二度手間で、その分手数料がかかるがしょうがなかった。
三百ドルは、約三十万コロンビアペソになった。一万ペソ札と五千ペソ札、千ペソ札を混ぜてくれたので、わずか百ドル札三枚が五十枚ほどの札束に変わった。急に金持ちになったような気になった。
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