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しばらく遊歩道を歩いて行くと、次々と石像が現れた。「彫像の森」というらしく、盗まれたり捨てられていたものを集めた公園らしい。写真では見ていたが、実際に見ると、三メートル以上あるものや、五十センチくらいの小さなものまであるので驚いた。人の顔だけでなく、猿や鳥をかたちどったものもあった。
イースター島の巨大石像は日本でも有名だが、コロンビアのこの石像群はほとんど知られていない。「ムー」のような専門誌なら紹介しているだろうが、一般誌やテレビでは紹介されていないだろう。人をかたちどった石像は、韓国や西日本によくある古代朝鮮の石像によく似ていた。地球のまったく反対側に、同じような石像が存在するのには歴史の不思議さを感じた。
ときどき広い野原になっているところに出た。そこには石像のほか、「ツンバ」という石で出来た墓があった。これも日本のあちこちにある古墳の石室に似ていた。現在、コロンビアやペルーにいるインディオたち先住民は、アジアから北アメリカを渡って南米まで渡来したと言われている。だが、北米のインディアンにはこういう文化はない。ひょっとして、直接東アジアから渡来したモンゴル系の人たちがいたのではないかと思ったぐらいだ。
ガイドのじいさんは、いちいちこれらの石像や墓が現れるたびに英語とスペイン語で説明してくれた。エバには英語が分からないからである。わたしにもほとんど理解不能だったため、もっぱらビデオで彼の説明を入れながら録画した。エバはときおり、例の一眼レフのカメラを取り出して撮影していた。
残念ながら、わたしはカメラはポケットカメラしか持って来なかった。キャノンのイオスを持ってはいたのだが、何台も持って行くと強盗に遭うと損害が大きいので、置いてきたのだ。だが、こんなにすばらしい光景だったら、やっぱりちゃんとしたカメラで撮影するべきだったと後悔した。
途中の林の中に、「ラバパタスの泉」という遺跡があった。これは、小さな渓流の石の上に、人工的に彫られた水路が迷路のように作られている。少し上から見ると、ヘビやトカゲの形になっているのが分かる。これも、奈良にある酒船石という遺跡に似ていると思った。奈良のものは複数の液体を上から流して調合するものではなかったかという説があるが、コロンビアのものは聖なる沐浴の場所として作られたものらしい。
三十分くらい歩いたところで、石畳の急な階段があった。エバはわたしとじいさんに手を引かせて登った。登りきったところに茶店があった。汗が滴り落ちるほど疲れたので、休憩することにした。
じいさんとエバと三人でコーラを頼んで飲んだ。高原だけあって、涼しげな風が吹き抜けて気持ちがよかった。じいさんにエバとわたしのツーショットの写真を撮ってもらったりして、汗が引くのを待った。
エバと二人でホテルのフロントに降りて行った。ファックスが届いているかどうか尋ねたが、まだ届いていないという。おかしいなと思って、再度日本に国際電話をかけた。しかし、電話の相手は送ったのに未送信になっていると言う。エバやフロントに聞いても、どうなっているのか分からないと言った。ファックスは諦めた。
考古学公園はどのくらいで行けるのか尋ねると、歩いて二十分くらいの距離だという。そのくらいの距離だったら、散歩がてら歩いて行こうと思ったが、エバが「タクシーで行く、危ない」とごねた。しかたなく、フロントにタクシーを呼んでもらった。
五分くらいで車は来た。しかし、タクシーではなく、中年女性が運転しているジープだった。送ってもらう途中、エバに聞いたところによると、この女性は隣りのレストラン兼安宿の女将で、小学校の教師でもあった。そして仕事の合間をみて、白タクのアルバイトをしているという。なんでもありのコロンビアらしかった。
周囲には何もない山道をジープは登っていった。五分も走らずに考古学博物館には着いた。五時に迎えに来てもらう約束をして、ジープを帰した。入場料を払ってゲートをくぐったところに、数人の男たちがたむろしていた。ガイドらしい。
ガイドブックには、悪質なガイドに注意するように書いてあったので、どうしようか迷ったが、エバが男から、「ガイドが付いていないと強盗に襲われたりする。ガイドがいればだいじょうぶだ」と言われたらしく、ガイドを頼もうとねだった。ガイド代も一万五千円だというから承知した。
順番らしく、六十近い小柄なじいさんがわたしたちのガイドに付いた。男が日本人かと尋ねるので、そうだと答えた。
「わたしはスペイン語、英語、フランス語、ポルトガル語、ドイツ語でガイドが出来る。どの言葉でガイドしたらいいか。残念ながら日本語は出来ない」
と言うので、わたしは「英語で頼む」と答えた。英語だってカタコトしか分からないが、スペイン語よりはましだったからだ。だが、男の英語はスペイン語なまりが入っているので、理解するのにかなり苦労した。
カメラ自体はミノルタ製のオートフォーカスカメラだったが、レンズは純正ではなく、通信販売で売っているような安物だった。プレゼントした男も、なるべく安く上げようと思って苦労したのだろう。本当に彼女たちの要求されるがままにプレゼントしていては、金がいくらあっても足りなくなる。そこまで出来るのは、ヤバイ商売の男か土地成金、弁護士などの自由業くらいだろう。
とはいっても、彼女たちは本当に愛している恋人なら、無理なことは言わない。男の稼ぎに応じたプレゼントは要求するが、「お客さん」と同等という事はありえない。無理なことを言って嫌われるのが怖いからだ。
サリーだって、フィアンセのイタリア人に対しては、しおらしくしていた。それに対して、日本での「現地妻」ならぬ「現地夫」に対しては、ふんだくれるだけふんだくっていた。
サリーが帰国する直前のことである。そのとき、彼女は「現地夫」のイラン人のアパートに居候していた。アパート代がもったいないからである。わたしはエバからサリーを成田まで車で送ってくれるよう頼まれていたから、自主的に帰国するのは知っていた。
しかし、彼女は帰国の前夜まで、そのことを彼に黙っていた。帰国の準備で旅行代理店や入管に出頭する合間を縫って、なじみの客とデートして、最後の荒稼ぎに精を出していた。前夜に彼女から帰国すると告げられたイラン人の男は涙を流して止めたという。だが、サリーはアパート代を浮かすために利用していただけだったのだ。
完全にエバは付き合いだした当時とは変わっていた。本物のプータになっていた。彼女を変えたのは、当時来日していた姉のサリーである。彼女は、エバに徹底的に「プロ」としての金の稼ぎ方を教えた。「恋人」からも金を取れ、と命じていた。
サリーがエバの手引きで来日し、初めてわたしと引き合わせるとき、エバはこう言った。
「お姉さんには、リュージもわたしにお金、プレゼントしてるって言ってね。そうじゃないと、わたし、怒られるから」
こんなこともあった。エバがロングで千葉のスナックにいたときだった。急に「明日、仕事チェンジだから、ピックアップして」と連絡があった。次の仕事場には朝の十一時に行かなくては遅刻とみなされてキャンセルされる。電車で行くと三時間以上かかるところだった。だから、夜のうちに車で近くまで移動しておきたかったのだ。
わたしはロングでピックアップする必要はないと思っていたから、銀行にも行っておらず、数千円しか財布の中に入っていなかった。これではホテル代も払えない。
「ホテルのお金、貸して。明日、銀行に行って、お金下ろすから」と言うと、そのとき、仕事をキャンセルして、エバの働いていた店のアパートに居候していたサリーは、「そんなお金のない男、ダメ」と言ったので、わたしは行かなかった。あとで金は返すと言っているのに、そんなことを言われて、わたしはムカついた。
結局、エバはその日、泊まりの客がつき、寝過ごして次の仕事場に遅刻し、あやうくキャンセルされそうになった。わたしが迎えに行くことになっていれば、彼女は客をキャンセルするか、ショートにしてわたしと落ち合っていただろう。
その当時は、まだ彼女とは蜜月状態だったので、すぐに関係は回復したが、だんだんサリーに感化されて、金の稼ぎ方を覚えていき、とうとう修復不可能となった。もし、サリーが来日していなかったら、わたしとエバの関係は、逮捕されるまでずっと続いていたとのではないかと思う。
付き合いがギクシャクしだしてから、金回りが悪いわたしに見切りをつけ、エバは金持ちの男たちから、あれこれプレゼントを引っ張っていた。十三万円のロレックスも、そのうちのひとつだった。
逮捕される二ヶ月前、東京に来ていたエバから突然、今晩会いたいと言われたことがあった。会ってみると、用件は明日の朝、千葉の時計店に一緒に行ってくれというものだった。お客さんにねだって時計を買ってもらったのだが、電池が悪くて、交換しなくてはならないが、日本語でうまく説明できないので、一緒に行ってほしい、保証期間内だから金は必要ない、という。
「だったら、その男と行ったらいいだろ」とむくれて言うと、「彼、いま東京にいない。だから、お願い」と懇願する。一晩一緒に過ごすことになるのだから、わたしはやりなおすきっかけになるのではないかという気もあり、承諾した。
だが、ホテルでいざ一戦交えようという段になって、「セックスするんなら一万円ちょうだい」と言い出した。
わたしは、「なんだ。自分から言い出しておいて、金を要求するとは。おまえは心までプータ(売春婦)なのか」とわたしは怒った。すると、エバは、「あなた、わたしを助けてくれるのはありがとう。でも、ただで出来ると思ったら間違い」と開き直った。
彼女は泊まりで客を取れば四万円は要求していたし、エバとは久しぶりだから、正直言って一万円くらいは出してもいい気持ちはあった。四万円ではなく、「一万円」というところに、彼女がわたしにいくらか感情を残していることをうかがわせた。だが、金額の多寡ではなく、セックスの代償としていくらかでも渡せばわたしは「客」になってしまう。そんなことを言うエバが許せなかった。
結局、わたしは「もういい」と言って、彼女に背を向けて横になった。朝の七時ころ、目が覚めた。となりにはエバが眠っている。ムラムラとして、彼女の胸やヒップを愛撫した。蜜月時代のエバなら、半分眠っていても、嫌がらずに股を開いてわたしを受け入れた。何度でも要求を受け入れた。
だが、この日のエバは、「やるんなら一万円ちょうだい」とはっきりと言った。わたしはキレて、「もう帰る。もう電車がある時間だから、あとは自分ひとりで時計屋に行け」と怒鳴った。すると、エバは泣き出しそうな顔になり、「あなた、一緒に行ってくれるって約束したじゃない。わたし、ひとりで行けない。お願い。一緒に行って」と懇願した。わたしは帰るのを止め、店が開く十時近くまでホテルで過ごした。店に連れて行き、約束どおり時計は修理したが、ほとんど口はきかず、気まずい時間が流れた。それ以来、逮捕されるまで彼女から連絡はなかった。
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