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トイレで用を足し、再度車を走らせると、前夜眠っていないせいか、エバが「眠たい」と言って、わたしの膝の上に頭を乗せ、膝枕のスタイルで横になった。悪い気はしなかったが、マックイーンがどう思っているのか気になった。わたしはスペイン語もろくに喋れない旅の日本人だ。わたしとエバは、ほとんど日本語で喋っている。ボゴタで結婚している夫婦だという言い訳は通じない。エバのことを「ジャパゆきさん」だと思って、心のそこで軽蔑してやいないか心配になった。
そのうちエバは、スースーと軽い寝息をたて始めた。窮屈だったし、わたし自身がエバの膝枕で眠りたいくらい疲れていたが、そのままにさせた。マックイーンは、エバが眠ってしまうと、スペイン語が通じないと思っているわたしには話し掛けなくなった。無言で走る状態がしばらく続いた。
三十分ほど眠ったエバは、ゆっくりと起きあがった。車は少し大きな町に入った。「ここがサンアグスティンか」と聞いたが、「違う、ここはピタリト。サンアグスティンは、もう少し先」とマックイーンに確かめたエバが言う。マックイーンは、「ちょうど昼時だけど、昼食を取るか」とわたしたちに尋ねてきた。
「もう少しなら、サンアグスティンに着いてから食べる」とわたしは答えた。ゆっくり食べたかったからである。ところが、ここから先が大変だった。十五分くらい走ると、なだらかな山道になっていったのだが、途中がなんとがけ崩れになっていて、通行止めになっていた。道の十メートル幅くらいの部分の土砂が削られていて、小川状態になっているのである。
タクシーは、すぐにネイバ市内を抜けて、一直線にのびる幹線道路をサンアグスティンに向かって走り始めた。幹線道路といっても、すぐにアスファルトで舗装している道は終わってしまって、二車線の赤土の未舗装道路だ。そこを時速百キロくらいでぶっ飛ばした。対向車にはほとんど出会わないが、体感速度がかなりのものだから、エバが怖がって、「もっとゆっくり、ゆっくり」と運転手に懇願したくらいだ。
マックイーン似の運転手(以下、マックイーンと記す)は、田舎の運転手らしく、すれてなくて人懐っこい、いい意味でのコロンビアーノらしい男だった。生まれ育ったサンタンデール州とボゴタ、そしてお姉さんのいるパルミラしか知らないエバと、コロンビアは初めてのわたしに、ときおり「あそこは何々で、こっちが何々で」と説明してくれた。
ときどき、銃を持った兵隊たちが検問所を設けていた。ゲリラ対策のようだ。最初は止められて、厳しい荷物チェックを受けたり、ビデオやカメラなどの貴重品を没収されたりするのではないかと心配したが、一度も検問は受けずにそのまま通り過ぎた。ゲリラの支配地域は主にコロンビア北部、パナマ国境の山岳地帯にあるため、南部のこの地方は緊張感がなかったのかもしれない。
二時間ほど走ったところで、広大なダムが眼前に広がった。マックイーンは車を止め、「ちょっと見てみろ」と言った。わたしたちは車を降り、写真やビデオを撮った。マックイーンにも、エバとわたしとのツーショットを撮ってもらった。観光スポット(といっても大したものではなかったが)になっているらしく、何台かの車が止まり、休憩していた。
飛行機がネイバ空港に降り立ち、タラップが横付けされた。客たちがみんな立ち上がったとき、先ほどの男が立ち去り際にエバの耳元にに何やら囁きながら、彼女の手の上に手を置いた。エバはニコッと笑っていただけだった。
「こいつ、また八方美人をやっているな、やっぱりコロンビアーナにはコロンビアーノが一番なのか」
と思った。
ネイバは小さな空港なので、手荷物だけのわたしたちはすんなり外に出た。ここからはバスでサンアグスティンまではバスで行くつもりだった。時間は朝の八時半だった。バスの出発時間やバスターミナルの場所を確認しなくてはならない。わたしはエバに観光案内所に行って聞いてくれと頼んだ。彼女は、空港内にある案内カウンターの女性に聞きに行った。
すぐに戻ってきた彼女は、こう言った。
「サンアグスティンまでね、バスで五時間かかる。タクシーだと三時間半か四時間。バスは一万五千ペソ。タクシーだと六万ペソだって。あなた、どうする」
バスだと二人分で三万ペソ。タクシーの半分だ。といっても、距離にしたら三百キロくらいある距離を六万ペソ(約六千円)なら安いものだと思った。それに、タクシーなら、トイレに行きたくなったのを我慢したりしなくてもいいだろう。わたしは即座にタクシーに決めた。
空港の出口をくぐると、数人の客待ちしている運転手が、わたしたちに「タクシー?」「タクシー?」と言いながら寄ってきた。その中の、スティーブ・マックイーン似のアングロ・サクソン系の顔をした中年運転手に、「サンアグスティンまで、いくらだ」と聞いた。運転手は「八万ペソ」と答えた。観光案内所で聞いた六万ペソとは二万ペソの開きがある。吹っかけているな、と思ったので、なめられないように「七万ペソだ」とわたしが言うと、「オーケーだ」とあっさり彼は言った。
六万ペソから交渉しようと思ったのだが、片道三百キロだから、もし帰りに客が拾えなければ六百キロになる。日本だったら、ガソリン代だけでも足りないくらいの金額だ。いくらガソリンが日本より安いといっても、日本の十分の一ということはない。せいぜい半分か三分の一くらいだ。あまり可哀想なので、「七万ペソ」と言ってしまったのだ。しかし、運転手にしてみれば、物価の安いネイバ市内でしこしこ客を拾っている一週間分くらいの売り上げになるから了承したのだろうと、あとになって思った。
荷物は念のため、トランクには入れずに手で抱えて車に乗りこんだ。たいして金目のものを持っていないエバのリュックは助手席に置いた。何かトラブルが起こって、運転手が荷物を積み込んだまま走り去ってしまう危険性も考慮したのだ。
空港には、五時過ぎに着いた。料金は八千ペソだった。ボゴタに着いた日に、空港からエバのアパートまで行った金額より安い。どこの国でも、空港で客待ちしているタクシーはぼるので、空港から市内へ行くより、市内から空港へ行くほうが安いが、まず妥当な料金だった。
空港でのチェックインは、客がまだほとんどいないこともあって、すんなり終わった。型どおりのエックス線検査とボディチェックを受けて、空港内に入った。中はがらんとしていた。コーヒーショップもまだオープンしていないので、手持ち無沙汰だ。わたしたちは、まずネイバという町の空港に行く予定だったので、ネイバ行きの便のゲートを聞き、その待合室に座って出発時間が来るのを待つことにした。
「わたし、この空港から日本へ行ったの」
エバが空港の待合室を眺めながら、ポツリと言った。
「一人で行ったのか」
「ノー。おばさん。それと小さい子供一人」
「お姉さんじゃなくって?」
「そう関係ない人。わたしを日本に連れて行ってくれたの。子供はカモフラージュね。あと、わたし、一番きれいなドレスを着て行った。汚い服だと、お金持ちのツーリストに見えないでしょ。わたし、飛行機乗ったの初めてだった。怖かった。今でも怖い。コロンビアに帰ってから、飛行機は一度も乗ってない」
生まれて初めて乗った飛行機が、なんと売春のために日本に行くためだったとは。そして、入管に疑われないように、精一杯着飾って乗ったとは。そのときの不安な彼女の気持ちを思うと、胸が締め付けられるようだった。
六時近くになっても、いっこうに登場案内のアナウンスは流れなかった。搭乗ゲートを間違えたのではないかと不安になって、エバに確かめるように言った。エバは近くの係員らしい女性に尋ねたが、やはりここで間違いないらしい。
「出発が遅れているらしいの」
遅れるのなら、その旨のアナウンスがあってもいいはずだが、エバは聞いていない。いかにも万事についてルーズなコロンビアらしかった。
結局、七時ころになって、ようやく搭乗ゲートが開いて飛行機に乗りこんだ。飛行機は、左右二席ずつの中型機だった。定員も七、八十人くらいだろう。観光地に行く便ではないので、このくらいで十分なのだろうが、早朝の便なのに席はほぼ満席だった。
ネイバまでは約一時間のフライトなので、ドリンクサービスが出たころには、もう機体が降下し始めていた。わたしは窓際に座っていたが、通路側にいたエバに、通路を挟んだ席に座っていた若い男が声をかけて話していた。エバも楽しげに話している。わたしという男が隣にいながら、なんて軽い女だと思ったが、ラティーナなんてこんなものだと割り切らないと、付き合いきれないのは十分過ぎるほど分かっていた。
おそらくわたしがコロンビア人だったら、「わたしの女にちょっかい出しやがって」と喧嘩になっただろう。実際、新宿あたりのコロンビア系ディスコでは、女の取り合いで流血事件がしょっちゅう起こっている。ただ、日本人が巻き込まれるケースは少ない。いくら酒が入って血が上っていても、日本人を怪我させると警察の介入を招いてヤバイと分かっているのと、日本人は女にちょっかい出されてもコロンビア人やイラン人のように怒らないからだ。
緊張感からか、なかなか寝つけなかったが、うつらうつらしているうちに目覚ましが鳴った。いくらか頭がすっきりしたが、やはり起きるのはつらかった。エバを起こすため、寝室のドアをたたいた。寝ぼけまなこでエバは起きてきた。日本にいるコロンビアーナたちは、寝るとなれば一日十時間でも十二時間でも寝ている。エバもほっておけばいつまでも寝ているタイプだが、仕事で移動するときは、二、三時間の睡眠でもきっちり起きた。十分でも遅刻すれば、どんな売れっ子でも仕事がキャンセルされるので、必死なのだ。
洗面を済ませ、コーヒーと卵焼き、パンで軽い朝食をとっていると、四時半になった。昨日と同様に管理人の男から、車が来たとの連絡があった。二人で荷物を持ち、下までエレベーターで降りた。
エバは管理人の男に、しばらく留守にする旨を告げた。玄関を出ると、待っていたのはタクシーではなく、前日、日本レストラン「侍や」からリリアナのアパートまで送ってもらった白タクの男だった。
「どうなってるの」とエバに聞くと、「きのう、頼んでおいたの」と言う。いつのまに話をつけていたのか。無線予約でも、知らない運転手より知っている方が安全だろうが、こうも簡単に住所を教えていいものだろうか。ある部分では必要以上に警戒感が強いのに、ある部分では極端に無防備になる彼女に、妙な違和感を感じた。これも育った文化の違いなのだろうか。
荷物を積み込み、車はまだ真っ暗なボゴタの市内を空港に向かって走った。走るにつれて、だんだんと空が明るみ始めた。空港に近づくと、待ちのあちこちで若者たちが酔っ払って騒いでいる姿を見かけた。土曜日の朝なので、金曜の夜から一晩中騒ぎまくっている連中だ。クスリでも入っているのだろうか。コロンビアでは、週末になると、いつもこんな光景があちらこちらで見られるらしい。
運転手は「不良たちさ」と、独り言のように言った。コロンビアの恥だとでも言いたげだった。
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