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エバはマスターとスペイン語で話し始めた。内容までは分からなかったが、笑いながら話しているところを見ると、明日から行くサンアグスティンの状況やボゴタの様子、マスターがコロンビアに定住した経緯についてらしい。
店の中をマスターとコロンビア人の奥さんとの間に出来た娘さんが歩き回っていた。それを見て、マスターとの会話を終えたエバが、わたしに向かってこう言った。
「あなた、日本帰らない。ここでわたしとお店する」
「ノー、日本で仕事ある」
「だいじょうぶ。問題ない」
おいおい、この前まで恋人がいるから早く帰れと言っていたのに、この変わり身の早さはなんだ。もっとも、わたしにしても、一人身で多少の小金を持っていれば、そう言う選択肢もいいかなという気持ちはあった。
もう男の平均寿命の半分は生きた。生まれ育った街に骨をうずめるという気持ちはさらさらなかったし、地球の裏側で残りの半生を過ごすのもいいかもしれないという気持ちもあった。だが、今すぐというわけにはいかない。一時は本気で愛したエバだったが、現在のエバを全面的に信じるわけにはいかない。東南アジアにはまった男たちによくあることだが、財産まるごと剥ぎ取られて、ポイっと捨てられる可能性だってあるのだ。一時の感情で軽々しく決められることではなかった。
味はまあまあだった。野菜や魚など、やはり日本のものではないためか、微妙に味が違った。それよりも量が多すぎるので、半分食べたところで満腹になってしまった。もったいないので、マスターに持ちかえりが出来るかどうか聞いたところ、大丈夫だという。
それがきっかけで、マスターが「旅行ですか」と話し掛けてきた。ボゴタの在留邦人は少ないので、ほとんど顔なじみなのだろう。
「ええ、そうです。コロンビアは初めてです。何日かボゴタを回ったので、明日からサンアグスティンに行こうと思っているんですが、危なくないですか。ゲリラとか強盗とか」
「確かにないといえば嘘になりますが、そんなのは飛行機事故に遭うようなものですよ。バスだって、全国で毎日、何千本も走っているけど、強盗に遭うのは年に数回ですよ。最低限のことさえ気をつけていれば大丈夫ですよ。サンアグスティンですか。わたしも昔、行きました。いいところですよ。写真、見せましょうか」
マスターは、カウンターからミニアルバムを引っ張り出してきて、石像などの写真を見せてくれた。
「何日くらい行くのですか」
「サンアグスティンは、一泊二日のつもりです。あとはカリと彼女のお姉さんのいるパルミラに行くつもりです」
「そうですか。本当は、サンアグスティンを全部見るには三日必要なんですよ。広いですからね。一日目は、歩いて博物館やパークを見て回る。二日目は、ジープのツアーで周辺の遺跡を見て回る。三日目は、馬に乗って見て回る。一泊二日だと、もったいないですね」
別に何日いてもかまわなかったのだが、エバのお姉さんのところに行ったあと、カルタヘナにも行くつもりだった。それを考えると、一ヶ所に何日も留まるわけにはいかなかった。
「コロンビアにはいろいろ面白いものがありましてね。ある遺跡の中から、どう見ても飛行機にしか見えないおもちゃみたいなものが今世紀に入って発見されたんですよ。学者が分析すると、構造的に空を飛べるようになっているんですって。何千年も昔に空を飛べるようなものを作っていたなんて、信じられないけど不思議ですよね」
そういえば、ペルーのナスカの遺跡も空中から見なければ何が書いてあるのか分からない。それを誰が何のために作ったのか、今まで議論されてきたのだが、結論は出ていない。売春とコカインしか日本人には思いつかないコロンビアだが、現地にはまた別の顔もあるのだと思った。
わたしたちは、ウイスキーの水割りを追加注文した。
「マスターは、どうしてコロンビアに定住したのですか。世界は広いし、別にコロンビアじゃなくてもいいと思うんですけど」
「いや、実は僕も世界中を二十年近く放浪してましてね。コロンビアってのは、一番嫌いな国だったんですよ。もちろん、物騒な国だし。でも、たまたまコロンビア人の女性と知り合って結婚することになってね。住めば都というか、成り行きでね。コロンビアってのは、貧乏じゃないんですよ。石油は取れるし、農産物は豊かだし、あんまり働かなくても食えるような土地なんですよ。だから、コロンビア人は怠け者が多い。日本人のバイタリティがあれば、必ずコロンビア人に勝てると思ったのもひとつの要因かな」
エバが「何の話?」と聞いてきた。
「コロンビアは貧乏じゃないって。いろいろあるのに、怠け者だから貧乏なんだって」
「わたしもそう思う」
エバは言った。エバはコロンビア人が日本などに出稼ぎに来るのを「コロンビアは貧乏だから」と、いつも正当化していた。確かに国民一人あたりのGDPは日本より、はるかに低い。しかし、餓死するような状況ではない。車や電化製品など「アメリカ的物質文化」が押し寄せてきて、「あれも欲しい。これも欲しいのに現金がない」という意味においての貧乏なのである。
コカインなどの麻薬にしたって、もともとはアメリカの需要に応えて下請け生産しているようなものだ。アメリカが世界一の麻薬消費国でなければ、コロンビアのコカインマフィアなんて生まれなかったのだ。それが、都合が悪くなると、すべてコロンビアのせいにする。
「わたし、ラーメンも好きよ。あと、お寿司も好き。日本でも食べた」
「嘘だろ。前は食べなかったじゃないか」
味噌汁が好きなコロンビアーナはごまんといたが、寿司が好きなコロンビアーナというのは出会ったことがなかった。さすがに生の魚というのは彼女たちには敷居が高いらしかった。
「ほんと。食べた」
「じゃ、なに食べたんだ」
「玉子、イカ、エビ、それと…」
「誰と食べたんだ」
「友だち」
「男だろ」
「ノー。女。テアトルの女。W市の駅の近くで、仕事終わってから食べた」
最低でも二人で一万円以上はする寿司屋に、コロンビアーナだけで行くとは思えなかった。彼女たちが自分たちの金で食べるのは、せいぜいファミレスくらいである。エバは知らないものを食べるとき、「これ、辛い?」と必ず聞くくらい、辛いものが嫌いだったし、なま物が食べれるはずがないと思っていたので、寿司屋に連れて行ったことはなかった。金をどぶに捨てるようなものだと思ったからだ。
「寿司は高いんだぞ。男と一緒に行ったんだろ」
「ノー。女と一緒。寿司、安い」
「えっ、安いって? それって回る寿司じゃないのか」
「そう。お寿司、回る。あれ、大好き」
「それ、ほんとのお寿司じゃないぞ。ほんとのお寿司はもっと高い」
「でも、わたし、好き」
なんと、エバが行ったのは回転寿司だった。それを普通の寿司屋だと思っていたのだ。もちろん、回転寿司が寿司ではないとは言わないが、やっぱり普通の寿司屋とはネタが違う。回転寿司をもって日本の寿司の代表のように語ってもらっては、やっぱり日本人のわたしとしては困ってしまうのだ。
だが、回転寿司なら同僚のコロンビアーナと行ったというのも本当だろう。デートの「お客さん」なら、回転寿司じゃなくて、もう少し格好がつく店に行くだろうし、エバもそういうことは正直に話してしまうところがある。日本人に近い感覚だといっても、コロンビアーナはコロンビアーナなのだ。
しばらくして、鍋焼きうどんとお弁当が出てきた。鍋焼きうどんもボリュームがあったが、お弁当は日本のものの二倍以上はボリュームがあった。ご飯とから揚げ、刺身など、おかずも豊富に付いている。ただ、ご飯は日本米ではなく、タイ米のようなぱさぱさとした長粒種だ。日系人が少ないので、日本米は営業に使えるほどは手に入らないのだろう。
コロンビアに来て初めての日本食だった。わたしはどこに行っても日本食を食べないでも平気だ。留学や海外駐在の人ならともかく、短期の旅行でわざわざ高い日本レストランに行く人の気が知れないと思っている。行ったとしても、材料が揃わなくて代用品を使っているので、値段の割にはまずいことが多いからだ。
まして、コロンビアの食べ物は、東京であちこち食い歩いた経験で、中南米の料理で一番日本人にあうと思っている。だから、インスタントラーメンなども持って行かない。荷物になるだけだからだ。インスタントラーメンなど食っていたら、その分、現地のおいしいものを食べる機会が減るだけだからだ。
すぐにエバは戻ってきた。
「お店は六時からだけど、大丈夫だって」
時計を見ると、五時ちょっと過ぎだった。ランチタイムとディナータイムのちょうど間だったのだ。タクシー代を払って中に入ると、カウンター席とテーブル席があった。テーブル席に座ると、ジャズのサックス奏者、坂田明のような顔をしたマスターがにこやかな顔で迎えてくれた。
コロンビア人の若い女の子のウエイトレスもいる。女の子がメニューを持ってきてくれたので二人で見ると、定食やうどんなどのメニューが何十種類も書いてあった。とりあえずわたしたちはビールを頼み、じっくりとメニューを見た。値段はどれも日本の蕎麦屋より少し高いくらいだが、材料の少ないコロンビアでは仕方ないだろう。
「エバ、なに食べるの」
「うーん、鍋焼きうどん。それと味噌汁」
「じゃ、おれはお弁当にするよ」
エバが鍋焼きうどんなんてものを頼むとは意外だった。わたしと付き合っているときは、ファミリーレストランか焼肉屋くらいしか行かなかった。うどんとかラーメンなんて食べるのは見たことなかったのだ。ただ、味噌汁は好きだった。どんなものを食べるときでも、必ず「味噌汁もね」と頼んでいたほどだった。
味噌汁なんて、外国人が好むのかと思うかもしれないが、ほとんどのコロンビアーナは好きだ。もちろん、来たばかりのころは抵抗があったのかもしれないが、長いこと日本にいて、日本食と否応なしに付き合っていると、そのうち味噌汁なしではいられなくなってくるみたいなのだ。
旅行代理店で三百ドルをカードで引き出して、外に出たら、おなかが空いてきた。夕食は、先日行こうと思っていて行けなかった日本料理店「侍や」で食べたいなと思った。ボゴタには日本料理店は何軒かあるが、みんな「HATYUHANA」のような高級店で、商社マンたちの接待の場所として使われている。だが、この「侍や」はプライベートでも行ける値段の庶民的な店だと書いてあった。
しかも、この店のオーナーは、世界を二十年も放浪したのちに、コロンビア女性と結婚してこのボゴタに店を開いたらしく、貧乏旅行者たちの旅の相談にも乗ってくれるとガイドブックに書いてあった。エバの姉夫婦にサンアグスティン行きを「危ない」と言われていたので、大丈夫なのかどうか、日本人の立場からアドバイスしてもらいたいという気持ちもあった。
エバに「夕食は日本料理店で食べたい」と言うと、「わたしも食べたい」と喜んだ。日本食に飢えていたらしい。タクシーを拾って、住所を示し、「侍や」にわたしたちは向かった。
三十分ほどで、車はノルテの住宅地の一角に入った。およそレストランがあるような雰囲気の場所ではない。おかしいなと思ったが、「住所は確かにここあたりだ」と言う。住宅の住居表示を見ながらグルグル回ると、「侍や」という日本語の看板が目に入った。
確かにあった。二階建てのこじんまりとした店だった。だが、看板が「クローズ」になっている。しまった、休みなのかと思って、エバに「今日、休みかなあ」と言った。エバは「見てくる」と言って、店の中に入っていった。ここでタクシーを放すと、流しのタクシーは拾えそうもない。休みだったら、引き返さなくてはならないから、わたしは車の中で待った。
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