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「エバ、イミグレーションはどうだったの」
「イミグレーションのモンキーハウスはきれい。暖かい。テレビもあったよ。でも、ごはんまずい。本当にまずい。刑務所はおいしかった」
「えっ、おいしい? 本当」
「そう。おいしかったよ。でも、イミグレーションだめ」
わたしにはムショ暮らしの経験がないから比べようもないが、ムショの「臭いメシ」が「おいしい」とは理解に苦しむ。それに新しくできた入管の方の食事がまずいというのも分からない。こういうのは、それぞれの調理人の腕に左右される部分が大きいのだろうか。
「イミグレーションには他のコロンビアーナがいたの」
関西方面のコロンビアーナの話はあまり聞かない。ときどき大阪で働いていたという女に会ったりするから、いないわけではないのだろうが、プロモーションの系統が東京とは違うためか、頻繁な行き来がない。風俗誌にも登場しないから、まったく情報が入って来ない。関東のように大量に働いていれば、絶対入管にも何人か収容されているはずだ。それを確かめたかったのだ。
「ノー。いない。ブラジル人とか、フィリピーナとか、中国人」
コロンビア人がいなかったのは、たまたまなのか。それとも絶対数が少ないからなのだろうか。
「仲良くしてた?」
「そう。ブラジル人の女、かわいそう。帰りのチケット買うお金ない。それでわたし、ついチケットプレゼントすると言っちゃった。そしたらイミグレーションの人がみんな『オー、エバ、あなたやさしいね。チケット、プレゼントするんだって』と言うの。ブラジルに帰るチケット高いでしょ。十五万円。わたし、びっくりした。だから『ノー、ノー。違う、三万円だけ』と言った」
エバが苦笑いした。三百五十万円所持しているエバが言ったのだ。入管の人間だって、そのくらい出してあげるのは彼女にとって何でもないと本気にしたに違いない。だが、エバは金にはこまかかった。
M刑務所に拘置されているとき、コロンビアのお姉さんから手紙が来たのだが、当然それはスペイン語で書いてあった。こういう所では、日本語ではなく外国語の手紙が届くと検閲を通過するために翻訳料を払わなくてはならなかった。それで、わたしが面会に行ったとき、「手紙はうれしいけど、お金がかかるので、もういらないとお姉さんに言って」と頼まれたのだ。
こういう境遇で肉親の手紙は何物にも代え難いはずだ。しかし、それを断るのだからよほど高いのだろう。何万円もするのだろうと思って翻訳料を聞いてみたら、たったの三千円だった。それでも彼女はケチったくらいのしまり屋だった。その彼女が三万円だってプレゼントするのは、日本人が清水の舞台から飛び降りるような気持ちだったろう。
勘違いしている人が多いが、不法滞在で捕まった場合、入管が帰りのチケット代を払ってやって強制送還するわけではない。原則は自腹だ。金がなければ、誰か知り合いが用意してくれるまで収容所に留め置かれる。そうなる運命の彼女に同情し、つい口に出してしまい、引っ込みがつかなくて、しょうがなくプレゼントしたのだろう。
「中国人の女は日本人の恋人に連絡したら、彼、すぐ飛んできた。チケット、彼プレゼント。それで彼女、帰るできた。彼女とアドレス、チェンジした。中国に来たら、わたしのアパートに招待するって。でも、彼女、マナー悪いよ。いつもガーッ、ペッ、してる」
それを聞いて、わたしは笑ってしまった。中国人は淡や唾を平気であちこちに吐く。日本人でもするが、そんなことするのは中年のオッサンくらいだろう。ところが中国人は若いかわいい顔をした女でも、平気で人前でやったりする。さすがにホステスの仕事をしているときはしないだろうが、プライベートなときは人前でもかまわずする。いわば文化の違いなのだ。
「エバ、しもやけは治ったか」
「治った。もう大丈夫」
彼女は手を見せてくれた。傷痕は残っていなかった。エバが約二ヶ月間収容されていたM刑務所(ここには独立の拘置所がなく、刑務所が拘置所を兼ねていた)には暖房設備がなかった。これが寒い北国の刑務所だったら、さすがにストーブやスチームくらい入れてあるのだろうが、そこは比較的温暖な気候の地域だったから、暖房設備は必要ないと考えているのか。だが、いくら暖かい地方だといっても、真冬の寒さは南国生まれの彼女にはこたえた。彼女の両手は赤くパンパンに腫れ上がり、いくら薬をつけても治らなかった。
ところが、裁判が終わり、大阪の入管に送られるとたちまち治ってしまった。大阪の茨木市にある入管の収容所は、まだできて数ヶ月の新しい施設だった。もちろん暖房もきちんとされていた。下手な薬より、暖房が彼女にとって万能の治療薬だった。
「リュージ。これ見て」
エバはノートを出してきた。見ると、ひらがなを練習していた。最初のところに日本人が書いたと思われる見本が書いてあり、彼女の名前もひらがな、カタカナで練習してあった。
「これ、モンキーハウス(拘置所)のお姉さんが書いてくれた。わたし、モンキーハウスにいるときヒマ。だから日本語勉強していた」
「ふーん。同じ部屋に何人いたの」
「三人。これ書いてくれたお姉さん、かわいそう。彼女のだんなさん、彼女がモンキーハウスにいるとき、死んだ。彼女、ワーワー泣いた」
「どうして死んだの」
「心臓悪かったみたい」
「彼女、どうして捕まったの」
「クスリ。だんなさんも一緒に捕まった」
「じゃ、だんなさんもモンキーハウスで死んだんだ」
「そう」
「彼女は何歳。だんなさんは何歳」
「たぶん、二十五歳くらい。だんなさんは五十歳くらい」
二十五歳も年が離れているし、覚醒剤か何かで逮捕されたということを考えると、二人は堅気の仕事ではなかっただろう。おそらくやくざとその情婦といった関係か。わたしたち堅気の世界の人間からすれば、ちょっと不自然なカップルでも、ちゃんと愛情で結ばれているのだなという感慨を抱いた。
エバは性格的には他のコロンビアーナに比べたらずっとおとなしく、日本人の女に近い部分があった。だから刑務所という特殊な空間の中でも他人とうまくやっていけたのだろう。
エバに二人のことを話すと、わたしもそうだったと言い出した。
「わたしも空港の航空会社のホテルで寝たの。すぐにシャワーを浴びた。だって、イミグレーションは、シャワー一週間に二回だけ。気持ち悪い。ロサンゼルスでシャワーした。一番うれしかった」
警察も刑務所も入管も、風呂に入れるのは一週間に二、三回程度だ。エバが捕まっていたのは冬だったから、一週間に二回しか入れない。わたしのようなものぐさの男でも、一日風呂に入らないと汗臭くて気になってしょうがない。ましてや一日に十数回もシャワーを浴びていた彼女たちが、突然風呂に入れなくなるのは苦痛だったろう。
それにしても、戦前、敗戦直後の貧しいときならともかくも、どうして今でも日本のこういう施設では一週間に数回しか入浴を認めていないのだろうか。何千人も収容している所ならともかく、普通の規模なら経費自体はさほどかかるわけでもあるまい。精神的な苦痛を与える教育的な効果を狙っているのだろうか。それとも、病気にならない程度に風呂に入れるという「お上」の方針なのだろうか。
「エバ、コロンビアの空港にはお姉さん、迎えに来たの」
「ノー。リリアナ、遅刻した。サリーの前のハズバンドが来てくれてた。お姉さん、あとでここに来た」
エバが苦笑いしながら言った。大事な妹が強制送還されてくるのに遅刻するなんて、いかにも時間にルーズなコロンビアーナらしかった。
サリーの別れた旦那は弁護士だという話だった。日本から強制送還される者は、場合によってはコロンビアの入管で何日も留め置かれることがあるらしい。それで、大阪の入管で面会したとき、弁護士である義兄にも空港に出迎えに来てくれるよう、お姉さんに伝えておいてくれと頼まれた。それで、帰国の便と到着日時を姉のリリアナに伝える際に、その旨を伝えておいた。それで彼が出迎えに来たのだ。運よく、何事もなく入国できたらしい。
「エバ、サリーの前のハズバンド、あなたの恋人じゃないの」
「ノー、違う。彼、お父さんみたい。いつも、わたしを助ける」
サリーの前の旦那の存在が気になっていた。いくら義理の妹といっても、新しいアパートをいっしょに探してやるなど、けっこう関係は親密そうだ。血は繋がっていないので、世話をしてやっているうちに…、ということが考えられないでもなかった。しかし、エバが「お父さんみたい」と言ったので納得した。
「わたしと会う、ない?」
「ノー、彼、日本人嫌い」
それはそうだろう。サリーはまだ彼と結婚していたときに日本に出稼ぎに来た。その間に関係が崩れ、サリーは九ヶ月でコロンビアに呼び戻された。彼はサリーが日本で売春をしていることを知っていたのだろう。帰国してすぐに別れたらしい。彼は日本を、日本人を憎んでいるはずだ。そんな男と会ったら、何をされるか分からない。
「パスポート返してもらったから、わたしは普通のお客さんと同じに帰った。だから、お金大丈夫だった」
わたしがコロンビアに来るときも、強制送還されるコロンビア人男女と一緒になった。ロサンゼルスまで行く飛行機に隣り合わせたカップルがそうだった。スペイン語で話しているのを聞いて話しかけたら強制送還組だと分かったのだ。
といっても、二人は恋人関係ではなく、たまたま乗り合わせただけだった。男の方は現場労働者をしていた男で、滞在が長期間になったので自主的に帰国するという。女の方は錦糸町のカジェ(街娼)をしていたが、千葉のアパートに手入れがあって捕まり、強制送還となった。
彼女はわずか半年間の滞在期間だったから、エバのように裁判にはならなかった。しかし、チケット代を所持してなかった。それで友だちが都合してくれるまで待ったため、強制送還まで二十日ほどかかった。そのせいか、もう二度と日本には来たくないと言っていた。わずか半年の稼ぎではいかほどの金にもならなかったろう。
マネージャーに頼って来ていたら、その借金も返し終わっていないはずだ。とすると、彼女が日本から持ち帰ったものは、ほんのわずかな涙金と、日本の嫌な思い出だけだろう。
ロサンゼルスには朝の八時過ぎに着いた。乗り継ぎの便は夜中の十二時発だった。十六時間も待ち時間があった。時差ぼけで疲れていたので、わたしは空港近くのホテルをとって仮眠した。空港に戻り、コロンビア行きの飛行機の搭乗口ロビーで待っていると、登場時間間近になって二人が突然現れた。同じ便だとは聞いていたが、今までどこにいたのか気になって聞いてみると、空港の中の「ホテル」に缶詰にされていたという。
よく見ると、二人にはアメリカの入管の職員らしき男が付き添っている。そして、二人のパスポートも管理していて、二人が搭乗する際にパスポートを渡していた。手錠などはしていないものの、空港内では完全に行動の自由がなかった。
「これ何?」
エバはわたしが持っていた腹巻き状の貴重品入れを見つけて尋ねた。
「これ。お金やパスポートのように大事なもの入れておくやつだよ。ドロボウに盗られないように」
「どうしてあなた、これ、日本のイミグレーションでプレゼントしてくれなかったの」
「どうしてって、あなた欲しいって言わなかったろ。そういえばお金大丈夫だったの。問題なかったの」
「大丈夫。わたし、アメリカのイミグレーションに泣いてお願いした。このまま帰ったら、お金全部コロンビアのイミグレーションでドロボウされる。そう言った。そしたら、パスポート返してくれた。アメリカのイミグレーションの男優しかった」
「何もされなかったの。代わりにレイプされるとか」
「ない、ない」
強制送還でコロンビアに帰る場合、コロンビアの入管で拘束されて調べられることがあるらしい。場合によっては何日か泊められる場合もあるという。その場合、大金を持っていたら没収されてしまう。というより、入管の職員が役得として巻き上げてしまうのだろう。開発途上国ではよくあることだ。
エバは逮捕されたときに貯金通帳と現金合わせて約三百五十万円持っていた。普通は自主的に帰国する場合は必要最低限のお金以外は事前に送金してしまっているし、捕まった場合も細めに送金しているからそんなに多額の現金を所持していることはない。万一、入管職員にたかられても苦にならない程度の現金しか所持してないのだ。
エバも以前だったら細めに送金していたのだが、忙しくて送金する暇がなかったのか、それとも送金を手伝ってくれるくらい信頼のおける男がいなかったのか。捕まってから、彼女から面会の際に、代わりにお姉さんの口座に送金してくれと頼まれたが、結局手続きができなくて、彼女は自分で現金を所持して帰国するはめになった。
警察の段階では、そういうことは入管が代行すると言われた。入管に移されてからは時間がないからできないと言われた。あとから聞くと、警察が「あの男に金を渡すとドロボウされるからやめろ」と言っていたらしい。まったく腹が立つ話だ。
そりゃ、三百五十万円はわたしにとっても大金だが、エバとの信頼関係はそれに代えられないものがある。もし目の前に三百五十万円が積まれたらチラッとそういう気持ちがわいたかもしれないが、わたしはコロンビアに送還されたエバに会いに行くつもりだった。そんなことをしたら、金が届いていないことなどすぐに分かるし、するはずがない。
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