[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
なんと、このディスコは観光客相手の売春婦のたまり場だったのだ。普段は外で客を引き、休憩がてら、このディスコで踊っているらしい。新宿や大久保にもコロンビアーナたちのたまり場のディスコはあったが、大きく違ったのは、日本ではディスコの中では客を引かないことだった。
日本のラテンディスコは、彼女たちにとって、ある意味での聖域であった。フリーで入る日本人の男がほとんどいないということもあったが、外では客を引いても、中で「デートしない?」と声をかけてくることはけっしてなかった。ディスコは、あくまでプライベートな空間であり、自分の売春婦という仕事を忘れ、ひとりの普通のコロンビアーナとして過ごす大切な場所だったからだ。
ディスコでは、パジェナートと同様にコロンビア独特の音楽のクンビアが流れていた。
「へえ、いくらなの」
「ショート三万ペソ。泊まり六万ペソね」
日本円で三千円か。安いなと思った。だが、コロンビアの物価のことを考えれば、三万円相当。日本と同じくらいの価値になる。観光地のカルタヘナだから、いくぶんほかの都市より値段は高いのだと思う。
「誰か気に入った女の子はいる?」
声をかけてきた女の子は問題外だった。踊っている女の子たちを見まわすと、二人ほどわたしのタイプの女の子がいた。二人とも細身だが、胸は突き出ている。年齢も十七歳か十八歳くらいだろう。だが、ここにいるすべての女が売春婦ではないだろうし、彼女たちもときどき男と踊っていた。へたな難癖つけられてもかなわない。
だが、それよりもまして、わたしは昼間だけでエバと三回やっていた。あちらの方のエネルギーは、すっからかんになっていた。
「エレーナ。いいよ。おれはもうエバといっぱいやったから。今日はもうできない」
「あっ、そう」
結局、二時過ぎにエレーナといっしょにマンションに戻った。
片山氏はすでに寝ていたので、リビングにあった簡易ベッドでわたしは寝た。エバと離れ、いろんな女と遊んでみたいという気持ちもあったが、やはり心の底で彼女のことが引っかかっていた。これでよかったのだと思った。
ここのディスコの入場料は、ひとり三千ペソと、さっきの店の倍した。高級ディスコなのだろうか。店の中に入ってみると、さっきの店とうってかわって五~六十人の客で賑わっていた。なかなかの盛り上がりである。同じ時間帯で、どうしてこんなに客の入りが違うのか不思議だった。
ここも一杯のドリンク付きだったので、ジントニックを注文して、椅子に座ってエレーナとしばらく飲んでいた。何人ものコロンビア人がエレーナに声をかけてきた。彼女はここの顔らしい。
しばらく様子を見ていると、聞き覚えのある曲が流れてきた。みんないっせいにフロアに繰り出し、横一列になって同じ振り付けで踊り出した。サルサでもメレンゲでもない。曲は「マカレナ」だった。
曲そのものは、日本のディスコで何度も聞いたことがあったが、あの振り付けの踊りはこの当時、誰も踊っていなかった。日本で「マカレナ」が知られるようになったのは、この数ヶ月後、アメリカのクリントン大統領が民主党大会で踊ったことがきっかけである。
もともと、この「マカレナ」という曲は、スペインの「ロス・デル・リオ」というオジさんグループが何年もかけてヒットさせたもので、同じスペイン語圏である南米にじわじわ浸透してきていたのだ。わたしはこの振り付けを見て、面白いなとは思ったものの、日本で流行るようになるとは考えもしなかった。
そのあと、メレンゲやサルサ、ご当地の音楽であるバジェナートが次々とかかった。エレーナは、知り合いの男たちに声をかけられ、何度かフロアーに踊りに行った。わたしはネイティブなコロンビアーナとまともに踊れるほどの自信もないので、ただ眺めていた。
すると、わたしの様子を見ていたらしいひとりの女がわたしに声をかけてきた。戻ってきたエレーナに聞くと、「あなた、ひとりで寂しいんじゃないのか。女の子を紹介しようか、と言ってるよ」と彼女は言った。
「え、どういうことなの」
「つまりね。彼女たちもプータ(売春婦)なの。ここでお客さんを探しているのよ。みんなカルタヘナの女じゃないよ。コロンビアのあちこちから来ているの。ここは金持ってる観光客が多いからね」
十時近くになって、エレーナがディスコに行かないかと言い出した。地元に詳しいエレーナの案内なら、昨日回ったチバによる観光コースとは違ったディープなカルタヘナの側面が見られそうだった。だが、片山氏は疲れているといって拒否したので、わたしとエレーナだけで行くことになった。
マンションを出ると、エレーナはマンション前に付けていたタクシーを拾った。どこに行くのかと思ったら、一キロも離れていないところにあるディスコだった。千二百ペソの料金を払いながら、エレーナは、「もう、どんな近いところでもタクシーで行っちゃうの。歩くと危ないしね」と言った。
地元で育ったエレーナでも、危ないと感じることがあるのだ。かつかつで食っている最下層のコロンビア人なら歩くだろうが、日本を知り、メイド付きの生活を送っているエレーナには、タクシーはすでに足代わりなのだろう。
彼女に案内されたディスコは、海岸通沿いにあった。入り口でひとり千五百ペソの入場料を払い、簡単なボディチェックを受けた。出入り口には、遊園地によくあるような、通るとパイプが回り、入場者がカウントされる器械が据え付けてあった。店員が知り合いを顔パスで入れたりしないように管理するためだろう。
ディスコの中はがらんとしていた。木曜日だからだろうか。チケットはドリンク付きだったので、ジントニックを一杯注文して飲んだが、客がいないディスコほどつまらないものはない。エレーナも、失敗したと思ったのか、十分もしないうちに、「ここはお客さんいない。次のところに行こう」と言った。
エレーナは、今度はタクシーでなく、歩いて海岸通りを岬のほうに向かって歩いた。途中で左に曲がれば、ヒルトンホテルだが、彼女はそのまままっすぐ歩いた。岬の先に、一軒の店があった。そこがディスコらしい。ディスコの前に十数人の若い女たちが、たむろしていた。
「カジェの女よ。昔はあんなのいなかっのにね。最近はカルタヘナも悪くなったのよ」
大久保や池袋、錦糸町によくいる立ちんぼが、カルタヘナにもいたのだ。よく考えて見れば、立ちんぼは欧米諸国のほうが本場なのである。日本でも江戸時代には「夜鷹」というものがあり、戦争直後にも進駐軍相手の立ちんぼがいた。だが、それらは最下層の売春婦であり、主流ではなかった。もちろん、コロンビアでも高級売春婦は秘密クラブなど、それなりのシステムがあるのだろうが、一般的なのはやはり立ちんぼのようだった。このシステムが、バブル崩壊後、日本の盛り場に進出していったのだ。
「本当は日本で育てるのが一番いいんだけとなあ」
片山氏とエレーナは、コロンビアサイドでは籍を入れていたが、日本では入れていなかった。したがって、子供は日本国籍ではない。こういうことは、日本人と外国人が結婚するときにはよくあるケースである。
たとえ男に妻子があり、結婚できない場合でも、胎児認知すれば、生まれてくる子供は日本国籍を取れる。片山氏の場合、どういう事情があったのか語らなかったが、とにかく妻子の日本への再入国は難しかった。彼は、子供の教育の条件や将来を考えて、日本で育てたかったのだ。
逆のケースもあった。ある知り合いのコロンビアーナは日本人と結婚して、子供を産んだ。だが、夫がギャンブル好きで、別居してしまった。子供が小学校に上がるというとき、彼女は子供をコロンビアに帰し、コロンビアの学校に入れるつもりだと言った。驚いたわたしは、こう尋ねた。
「どうして。子供はママといっしょにいるのが一番だろ。子供が可哀想じゃないか」
すると彼女は、こう言った。
「だいじょうぶ。コロンビアのわたしのファミリーはいっぱい。わたしの兄弟の子供がたくさんいる。その中で育ったほうがいいの。寂しくない。わたしの家、お客さんいっぱい来るでしょ。子供、夜中まで遊んでいる。勉強、ここでは出来ない。だから、コロンビアの方がいい」
たしかに、弁当屋をやっている彼女の家には深夜まで客が出入りしていた。落ち着いて勉強が出来るような環境にはない。それに、昔の日本のように、大家族の中で育ったら、いい面もあるだろう。しかし、生みの母親と離れ離れになったら、捨てられたという気持ちになるのではないか。
日本にいるコロンビアの売春婦の半分以上は、コロンビアに子供を残して来ている。旦那と別れたり、未婚の母だったりして、経済的に困って、売春を承知でやって来るのである。それで、肌身離さず自分の子供の写真を持ち歩いていて、一週間に一度か二度、コロンビアに国際電話をかけて、子供と話すのを楽しみにしている。
だが、そのくせ日本で知り合ったコロンビア人やイラン人の恋人と、週末はディスコで乱痴気騒ぎをしている。コロンビアに残してきた子供のことは、まったく忘れてしまったかのような騒ぎぶりだ。文化の違いといったらそれまでだが、そんな彼女たちの子供たちが、母親の仕送りによっていくら金銭的には豊かになったとはいっても、まともに育つとは日本人のわたしには思えないのだ。
片山氏は会社を経営する実業家だった。収入はわたしの十倍以上はあるだろう。別れたエレーナと子供に対し、毎月何十万円も仕送りしてきた。それでエレーナたちは、ここでメイド付きの贅沢な生活を送ってきた。
だが、わたしにはそんな真似は逆立ちしてもできない。わたしにそんな大金があれば、エバとの関係がこじれて、別れることもなかっただろう。
愛だ何だかんだといっても、彼女たちの欲求を満足させることが出来るほどの収入がなければ、つまり同じ土俵に立つのであれば、言葉も文化も共有するコロンビアーノに勝てるわけがないのだ。
しばらく、片山氏たちと酒を飲みながら過ごした。
「子供がね。なつかないんだよ。二年も離れていると、わたしのことを忘れてしまったみたいでネ。せっかく会いに来たのに、寂しいんだよな」
片山氏が酔っ払ってぼやいた。彼の子供は三歳の男の子だった。一歳のときにコロンビアに帰ったのだから、当然片山氏と過ごしたころのことは忘れてしまっているだろう。
日本語もまったく話せない。顔かたちはハーフらしく、日本人の表情が垣間見えるが、中身はまったくコロンビア人になってしまっている。この子供が大きくなるにつれて、どういう問題が降りかかってくるのだろうか。
人種の坩堝といわれる南米だから、普通だったら肌の色では差別はされないだろう。だが、ここはコロンビアだ。ペルーやブラジル、アルゼンチンなどとは違って、日系人の優位な地位はないといっても等しい。
むしろ、ジャパゆきさんの子供ということは丸分かりで、そのことの重みが彼の人生に降りかかってくるだろう。それを片山氏は悩んでいた。
新著「体験ルポ 在日外国人女性のセックス」(光文社刊)好評発売中。
「サイバーセックス日記」http://demachiryuji.seesaa.net/
「洋楽カラオケ日記」
http://ameblo.jp/demachiryuji/
「裏ストリップ30年回顧録」
http://arecho.blog98.fc2.com/