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中心地のボリーバル公園で降りて、あたりを見回した。旧市街というだけあって、百年以上は経っていると思われる石造りの建物が立ち並んでいる。通りも石畳で、ときおり観光客を乗せる馬車が行き交っていた。町並みそのものが博物館のような印象だった。
地図を広げて、まず宗教裁判所跡に行った。白亜の建物で、コロンビア独立前、異教徒を取り締まる宗教裁判が行われたところらしい。魔女狩りで有名なフランスだけでなく、スペインの植民地だった南米の片田舎でも宗教裁判が行われていたとは驚いた。
一階には、その証拠を示す、拷問の道具の数々が展示されていた。まるでSMの道具そのままである。エバがふざけて、真ん中に展示されていた拷問台に寝そべった。部屋には誰もいなかったので、カメラを取り出し、撮影した。
二階には拷問道具などはなく、植民地時代の家具などの歴史的資料が展示されていた。スペイン語の解説など分からないので、ざっと流して見て、一階の中庭に行ってみた。中庭には熱帯性の植物が茂っていたが、なぜかカラフルな色をしたオウムが二羽、紐につながれていた。
それを見たエバが、オウムに近づき、二羽を肩に乗せ、「ネ、ネ。可愛い。写真撮って」とねだった。わたしは苦笑いして、二台のカメラで彼女とオウムを撮った。もう写真に対するアレルギーは完全になくなっていた。
外に出て、今度は近くにある黄金博物館に寄った。黄金博物館は、ボゴタにもあったが、時間がなくて行けなかった。ガイドブックによれば、「エル・ドラード」の国らしく、コロンビアの主要都市にはたいていあるようだったが、カルタヘナのものは民家程度の小さなものだった。
冷房が効いていて、肌寒いほどだった。展示されているものは、インディオたちが作った金細工の品々だ。警備も厳重で、ガラスのショーケースにしっかり保存されていた。このようにきちんと管理されているものは、ほんの一部分で、大部分は植民地時代に延べ棒に鋳直されてスペイン本国に持ち去られたらしい。改めて、コロンビアを始めとする中南米諸国の本来の豊かさと、植民地支配の収奪ぶりを考えさせられた。まだまだ資源は残っているというものの、収奪がこれほど激しくなかったら、エバたちは日本を目指しただろうか。
午後一時。エバがボゴタに帰るのは、午後六時の便だったから充分時間があった。わたしたちはセントロにある黄金博物館や宗教裁判所跡などを見ることにして、タクシーを拾った。シーズンオフとあって、簡単に拾えた。やはり前のタクシーの運転手は、はったりをかましていたのだ。
今度のタクシーは、えらくきれいだ。コロンビアのタクシーは、当たり外れがあって、けっこう古い車も走っている。ホテルカリベの前に付けていたタクシーの中には、五十年代のアメリカ映画に出てきそうな、普通の車の二倍もあるアメ車もあった。海辺の町だから、潮風に当たって、車の消耗は内陸部に比べて早いはず。何十年も、だましだまし使ってきたのだろう。
「珍しいな。こんな新しいタクシー」
わたしがつぶやいたのを聞いて、エバが運転手に話しかけた。
「これ、昨日買ったばかりなんだ。新車だぜ」
運転手がうれしそうに言った。
「どこの車なの」
「マツダだ。日本の車だ。これはいいよ」
「いくらしたの」
「二百万円」
新車とはいえ、ラジオ、カセット、エアコンなどの最低限の装備しかないファミリアクラスの車だったから、日本だったら百万ちょっとだ。関税が高くて、こんな値段になったのだろう。
「トヨタとかミツビシは」
「いい車だけど、高い。マツダはコレア(韓国)と同じ値段だから、安いんだ」
しかし、コロンビアで二百万円の車を買うということは大変なことだ。観光地だから、よほどうまく上客を見つけて稼いだのに違いない。だが、幸い我々はぼられずに千五百ペソでセントロまで行くことが出来た。
着替えたわたしたちは、市内観光に出かけることにした。ガイドブックを見て、まずサンフェリペ要塞に行くことにした。千五百三十六年年に建設が始まり、二十一年かけて完成された、南米の中でももっとも堅牢な要塞らしい。
ホテルに付けていたタクシーを拾い、行き先を告げた。すぐに運転手が、「あちこち回るのなら、三時間三万ペソでどうだ」と持ちかけてきた。エバが「どうする」と言ったが、わたしは拒否した。
タクシーを借り切ると、時間が気になって、どうしても駆け足で見て回ることになる。それに市内なら、どこを回っても三千ペソくらいで移動できるし、セントロの中なら歩いても回れる。ほとんど待たせているだけになるので、無駄だと思ったのだ。だが、運転手は「サンフェリペ要塞のところはタクシーがつかまらないよ」としつこい。しつこいやつほど危ないと思って、今度ははっきりと断わった。
タクシーを降りて、緩やかな坂を上がり、サンフェリペ要塞の門に向かった。そこで入場料を払い、石畳で出来た坂をさらに上がって行った。要塞全体が小山のようになっているので、カルタヘナの町並みが一望できる。空は真っ青の快晴だ。ギリシャかイタリアの古代遺跡にやって来たような気分だった。
要塞の中は複雑になっていた。迷路のように通路が入り組んでいて、兵士が侵入した敵に即座に対処できるように設計されていた。すべてが石造りで、外気に比べてひんやりとしていて涼しい。エバにとっても初めての連続で、修学旅行生のようにあちこちに目を光らせていた。
一周するのに約一時間ほどかかった。要塞を出て、タクシーを降りた地点に戻った。そこには門前町のように、何軒かの店があった。フィルムがなくなったので、売店で買った。フィルムはコダックしかない。ひとつ五千ペソだった。ほとんど日本と値段は変わらない。やはりここでは贅沢品なのだろう。
隣りのレストランで昼食を摂ることにした。といっても、たいしたメニューがなく、コーラとエンパナーダスとスープで済ませた。日本でいえば、お好み焼き屋か海水浴場にある「夏の家」といった感じだった。
急いでコンドームを装着し、再び彼女の蜜が溢れたバヒーナ(局所)に深く挿入した。
「もっと早く。早く」
エバは絶頂に近づいていた。激しく腰を動かした。同時に彼女のゴム鞠のような大きな胸を両手で鷲づかみにし、強く、暴力的に絞り上げた。こうされるのが大好きだったことを思い出したのだ。
「アァッー」
隣りの部屋にも聞こえるような大きな声をあげて、エバは果てた。わたしも、その直後に、ありったけのものを彼女の中にぶちまけた。わたしの放出を受けた彼女の膣は、ヒクヒクとしばらく痙攣していた。
ベッドで息が落ち着くのを待って、二人でシャワーを浴びた。もう一度全裸でベッドに横になった。彼女はしばらくわたしの萎えたシンボルを握っていた。不思議なことに、完璧に縮こまっていたものが、少し大きくなり始めた。ここ数日間、毎日放出していたので、わたしのエネルギーはもう残っていないはずだったのだが…。それを見て取ったエバは、わたしの上に覆い被さり、口に含んだ。固さは充分ではないが、使用には耐えられるほどの大きさになった。
「食べて」
エバは体を入れ替えて、わたしの顔にバヒーナを押し付けた。わたしはエバとオーラルセックスをしたことは、ごく初期に一回したことがあるだけだった。彼女たちの商売は、通常はコンドームを付けて、十分ほどの時間でセックスを済ませるというものだった。だが、多少のチップを払えば、オッパイを触らせたり、局部を舐めさせる女もいた。エバも同じようにさせていたはずだ。わたしはエバを愛していたが、ついさっきまでどこの誰かとセックスしていた彼女の局部を舐めるのには抵抗があった。彼女も、そういう要求はしなかった。初めて、自分から舐めてくれと要求したのである。
「珍しいな。エバがここ、舐めてくれって言うなんて」
「コロンビアの女、みんな舐められるの好きよ。うふふ」
フェラチオさえ、日本に来てから覚えたエバだったから、わたしは勝手に彼女はオーラルセックスは好きではないと思い込んでいたが、やっぱり彼女も好きだったのだ。
エバの花芯を舌で転がした。「あっ…」という小さな呻き声を挙げた。彼女はわたしの怒張したものから手を離し、少し体を入れ替えて、わたしの頭を両手で押さえ込んだ。わたしは舌を襞の内部に差し込んだ。わずかに塩味がする。
「うっ…」
彼女の両手に力が入った。短く刈った陰毛が顔にチクチク突き刺さる。呼吸も苦しくなった。わたしは起きあがり、彼女の秘部に怒張したものをあてがった。するりと入った。
一度発射しているので、コンドームを付けると萎えていきそうだった。彼女の高まりに合わせ、一気にフィニッシュまで持っていった。もちろん、今度は外に出した。
しばらく息を整えていた彼女は、立ち上がり、「チモチよかったよ~」と節をつけながらシャワー室に消えた。
部屋に戻って、またシャワーを浴びた。シャワー室には、わたしたちの体に付いていた砂が残っていた。エバは水着をシャワーで洗い、パンティー一枚の姿で窓際に絞った水着を干していた。もうエバとわたしとの間には、心の距離感がないような感じがした。
エバの手を引っ張り、ベッドに押し倒した。まったく抵抗しない。前戯もそこそこに、わたしの怒張した物を彼女は握り、「元気ね」とうれしそうに言った。自らパンティーも脱いで、わたしを受け入れた。
エバは激しかった。彼女はあまりすぐにイク体質ではなかったが、自分からイキたいと努力しているように見えた。二十分あまり格闘していたので、わたしは前身が汗びっしょりになり、彼女の顔の上にもわたしの額の上からも汗が滴り落ちた。少々息が切れてきて、息子も萎えかかってきた。
「上になっていい」
わたしの疲れを感じ取った彼女は、わたしと体を入れ替えて、わたしの上で腰を激しくグラインドした。わたしは女性上位では、なかなかいかない。しばらく下になっていて、体力が回復したわたしは、再び体を入れ替えて、彼女の両足をかかげて深く挿入した。彼女のあえぎは一段と激しくなった。
今回の旅では、いままで膣外射精だった。エバの中に放出したいと思ったわたしはリュックの中に入れておいた新品のコンドームの箱の封を切り、ひとつ取り出して嵌めた。
「なに。コンドン(コンドーム)持ってるの。どうして初めから言わない」
エバとは付き合い出した当初から、生だった。コロンビアーナはけっこう病気には神経質で、お客には生でやらせることはほとんどない。生でするのは特定の恋人だけだ。その点、タイの売春婦はルーズで、一見の客にも強く要求されると生でしたりする。それでタイにはエイズがほかの国に比べて多いのだ。
客には気をつけていても、時にはコンドームが敗れる事があるので、エバも何ヶ月に一回は病院でチェックを受けていた。もちろん、陰性だった。それでわたしは安心して、最初は生で挿入し、お互いが最高潮に達したときにコンドームを装着し、彼女の中に放出していた。
エバも、膣外射精よりも自分の中で放出される瞬間が好きだった。だから、コンドームを持っているのなら、もっと前から中で放出して欲しかったということなのだ。
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