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「ちょっと、海行く。あなたも来る」
「えっ、カメラあるだろ。二人一緒は危ないよ」
「じゃ、わたしだけ行く」
「リスト!」
エバは海の中に入って、寝転がっている。わたしのポケットカメラで彼女を撮った。いい表情だった。本当にリラックスしているのだろう。
「わたしのカメラでも撮って」
「分かった」
積極的に自分から撮ってくれというのは、彼女にしては珍しかった。わたしは彼女のカメラに切り替えて何枚も撮った。
「リュージ、あなたも、ここ来る。リラックス」
「ダメ」
わたしは海水パンツのポケットに札束を突っ込んでいた。これが日本やアメリカなら、コインだけで用が足りるのだが、インフレの進んだコロンビアではコインだけでは何も買えない。カメラのことも心配だったが、札束を濡らすわけにはいかないので、海に浸かりたくても出来なかった。
十分ほどでエバが戻ってきた。ビーチには、まだほとんど人は出ていなかった。相変わらず押し売りたちが右から左へ、左から右へと行き交っていた。ひととおり押し売りには断ったので、あまりしつこくなくなっていた。声はかけてくるものの、首を振るだけで、「もうこいつらは買う気がない」と諦めてくれた。
「リュージ、行く?」
「行こう」
ビーチには一時間ほどいただけで、わたしたちはホテルに引き上げた。ビーチからホテルに戻る路上で、最初に声をかけてきた三つ編み屋の女性二人とすれ違った。そのうちのひとりから、エバが何か言われた。
「何を言われたの」と聞くと、「彼女、わたしの三つ編みを見て、怒ってた。自分が行ったときは断ったのに、どうしてほかの女にはやらせたんだって」と言った。客を取られた腹いせを、エバ本人にぶつけたのだ。
「エバ、顔とか言葉で、コロンビアのどこの出身か分かるのか」
「顔は分からない。でも、言葉は分かる」
典型的なペルー人顔というのはある。インディオの血が濃いからだ。だが、ペルーにも金髪の白人はいるし、外見は日本人そのままの日系人もいる。インディオの血が少し入っているエバのように、インディオは南米大陸の隅々までいて、スペイン系、イタリア系、ドイツ系などの白人、アフリカ系の黒人がいろんなバリエーションで交じり合っているから、たしかに顔だけでは国や出身地を判断するのは難しいだろう。
だが、ブラジルを除くほとんどの中南米の国で話されているスペイン語には、地域差があるのだろうか。たしかにスペイン語の教科書には、「元気ですか」という挨拶が、スペイン本国では「コモ・エスタ」と言うのに対して、中南米では「ケ・タル」が用いられている、などと書かれている。
だが、スペイン語自体が、ラテン語からフランス語、ポルトガル語、イタリア語などと分かれた一方言のようなもので、中国語における北京方言、上海方言、広東方言などよりはるかに共通性がある。スペイン語とポルトガル語など、お互いの言語で会話しても意思疎通が出来ると言われているほどだ。
日本語でも、「ありがとう」が関西弁では「おおきに」となる。わたしたちは小さいときから大阪弁をテレビなどで耳にしているので違和感がないが、この「ありがとう」と「おおきに」をローマ字表記にしたら、外国人はとても同じ国の言葉だとは思わないだろう。
それに比べたら、スペイン語は耳で聞く限り、あれほど広大な地域で話されていても、日本語よりはるかに共通性があった。だから、コロンビアとメキシコ、ペルーといった国別の方言は多少あるものの、コロンビア国内で方言があるのかどうか気になっていたのだ。
「エバ、コロンビアには方言があるのか。たとえば、日本でも東北や大阪で言葉が違うだろ。あれと同じの」
「あるよ。ボゴタとカリも違うし、メデジンも違う」
「えっ、あるの。どう違うの、やってみて」
「えーとね、ボゴタはこう。『ジョ ソイ(わたしは)……』。メデジンはこう『……』」
「カリは」
「……」
「サンタンデールは」
「……」
たしかに、間延びした感じだったり、早口だったりという違いはあった。だが、単語そのものはまったく同じだった。この程度の違いだったら、個人差による発音の違いもあるのではないか。
「単語は違わないのか。話し方だけ?」
「そう。話し方だけ。ゆっくりだったり、早かったり」
「でも、こっちに来たら、なんか、みんな『リスト』という言葉を使ってるよ」
コロンビアーナも含めたラティーナは、英語の「オーケー」をそのまま使っていた。スペイン語の教科書には「バーレ」と書いてあるのだが、知っている限り、日本にいるラティーナたちはみんな「オーケー」を使っていた。それが、カルタヘナに来たら、どうも「オーケー」の代わりに「リスト」という言葉を使っているようで、気になっていたのだ。
「ああ、『リスト』はカルタヘナのように、カリブ海に近いところで使われているの。でも、ボゴタでも使ってる人、少しいるよ」
日本に戻ってから聞いたのだが、ボゴタで使われているスペイン語は、スペイン本国で話されているのと近く、そのためボゴタ出身者でスペイン語の教師をしている喪のが多いのだそうだ。もっとも、これはボゴタ出身の女性から聞いたので、多少身びいきがあるかもしれない。
別のボゴタ出身の女性と新宿東口を歩いていたら、数人の観光客とすれ違った。彼らの話しているスペイン語を聞いて、彼女はすぐに「彼らはスペイン人」と断定した。スペイン自体にもセビリアやバルセロナなどには方言があるという。それでも「スペイン本国」をくくる大きな特徴があるのだろう。
アルゼンチンの女性からは「アルゼンチンにはイタリア人の移民が多いので、少しイタリア語なまりになっている。だから、わたしが日本に来たときは、コロンビア人の話すスペイン語がよく分からなかった」と聞いた。国別になると、けっこう大きな違いがあるのだ。だが、わたしのような初心者には、そんな微妙な違いが分かるようになるには、一生かかっても出来そうになかった。
「エバ、高かったな」
「当たり前。どうしてあなた、いらないと言わなかった」
「言ったよ。でも、あの男。剥くのをやめないんだもの」
「ダメ。もっと強く言わなくちゃ」
「見てたんなら、どうしてヘルプしない」
「だって、あなた、食べるから」
ひと騒動が終わったのも束の間、また新たな押し売りがやって来た。今度は別の三つ編み屋だった。エバに話しかけていた二人の三つ編み屋が、突然道具を用意し始めた。
「なんだ、エバ。やるのか」
「だいじょうぶ。安い。少しだけ」
「えっ、いくら」
「八千ペソ」
「まっ、いいか」
簡易ベッドにもたれながら、エバは満足そうな表情を浮かべていた。きっとお姫様にでもなったような気分なのだろう。
「あなたはコロンビア人?」
髪を編みながら、黒人の三つ編み屋がエバに声をかけた。
「そう」
「コロンビアのどこ」
「サンタンデール」
「わたしもそう思った」
エバと二人の黒人は、こんな会話を交わしていた。わたしは顔や肌の黒さ、あるいは言葉でどこの出身か分かるのかなと思った。
十分ほどで、エバの三つ編みは終わった。全部の髪を三つ編みにするのではなく、左右一本ずつ、アクセントのように編んだだけだった。
「リュージ。わたし、いま本当にリラックス。コロンビアに帰って初めてリラックスした。分かる?」
「ああ、分かるよ」
エバは目を瞑って、心地よさそうにしていた。だが、その静寂もすぐに押し売りによって破られた。まずやって来たのは二人連れの三つ編み屋の女だった。二人とも黒人だった。
このカルタヘナは、コロンビアでも一番黒人の多い地域だ。スペインの植民地だったころ、港町の労働力を確保するため、アフリカから多数の黒人が連れて来られた。彼らはその子孫だ。南米は人種の坩堝と言われるが、実際には地域によって黒人、白人、インディオの混血度はまちまちだ。
コロンビアでも、経済・政治の実権を握るハイソサエティは純粋のスペイン系の血を保っているし、逆に貧しい地域に行けば行くほど黒人やインディオの血が濃くなる。ここカルタヘナには、褐色どころか、真っ黒な肌をした黒人もいた。二人の三つ編み屋も、真っ黒な部類に入った。
三つ編みといっても、レゲエの黒人のように細かく編むのである。わたしたちは押し売りを断った。ぶつぶつ言いながら、二人は去って行った。すると、すぐに別の押し売りがやって来た。今度は貝殻で作ったアクセサリーを買えと言うのだ。今度も断った。
写真屋もやって来たが、わたしたちはカメラを持っていたので諦めた。すると、今度は牡蠣売りがやって来た。牡蠣といっても、日本のような大きな牡蠣ではなく、蜆みたいに小さい。それが何十個も密集して塊になっている。
押し売りの男が、「これを食べれば精がつくぜ」という仕草をした。精がつくというのはどうでもよかったが、わたしはこんな小さな牡蠣が、どんな味がするのかに興味を持った。
「いくらなの」
「五百ペソ」
男はわたしが「オーケー」と言うのを待たずに、牡蠣をナイフでこじ開け、レモンをかけてわたしの目の前に突き出した。一個食べてみた。小粒だが、けっこうおいしかった。
すると、男は次から次へと牡蠣をこじ開け、わたしの口に持ってきた。十個くらい食べたところで、もう充分だと思い、「ノー、グラシアス」と言った。だが、男はわたしの言ったことが耳に入らないかのように、また次から次へと牡蠣を剥いて突き出した。
さらに十個ほど食べたところで、わたしはまた「ノー、グラシアス」と言ったが、また無視された。剥いてしまった以上、食べるしかない。牡蠣は小さいから、満腹で食べられないということはないが、もううんざりだった。わたしはエバに、男に牡蠣をもう剥かないようにと、助け舟を求めた。
エバが強く言ったおかげで、男はようやく剥くのをやめた。勘定をしてもらうと、一万四千ペソだという。意外な高さに驚いて抗議すると、男は剥いた貝殻を並べ、数え始めた。そして、二十八個あるのをわたしに確認させ、「一個五百ペソだから、一万四千ペソなんだ」と説明した。
わたしは五個くらいのセットで五百ペソだと勝手に思っていた。確認しなかったわたしがバカだった。観光地では、ぼられるのが当たり前。だが、現地人のエバがいることで、つい気を緩めてしまったのだ。
翌朝は八時半ごろ目が覚めた。ホテルのレストランで朝食を摂って、部屋に戻った。ベランダからビーチを眺めると、砂浜にはちらほら人がいた。エバがそれを見て、「ビーチに行こう」と言い出した。
「えっ、だってエバは水着持ってきてないだろ」
「持ってきてる。これ」
「なんだ。エバ、あれほど海は嫌いだと言ってたろ」
「だいじょうぶ」
エバにはインディオの血が入っていたから、ほかのコロンビアーナに比べて少し色が黒かった。それで昔から極端に日に焼けるのを嫌がっていたのだ。カルタヘナに行くのも、最初は「日に焼けると、鼻の整形手術に影響がある」という理由で渋っていた。
整形手術と日焼けとどういう医学的因果関係があるのか知らないが、エバは「医者から日焼けはダメだと言われた」と言い張っていた。これまで水着を買えとも言われなかったし、それでカルタヘナに行っても、エバはビーチに出ないと思っていたのだ。「女心と秋の空」と言う諺があるが、コロンビアーナの心なんて、それどころか分刻みでころころ変わる。
「リュージ。カミソリ貸して」
水着になるため、陰毛を手入れするというのだ。わたしが髭を剃るためのカミソリで陰毛を剃られるのには抵抗があったが、刃を替えればいいやと思って貸した。剃毛を終え、エバは水着姿でシャワー室から出てきた。オレンジ色の水着だ。これも日本にいたとき、誰かにプレゼントしてもらったものなのだろう。
わたしも海パンにTシャツ、ビーチサンダルという姿に着替えた。金も十万ペソほど用意した。ドリンク類を買う必要があるだろうと思ったのだ。エバもカメラを持って出た。
フロントにキーを預け、ホテル前のビーチに出た。客はまだほとんどいない。物売りのほうがはるかに多い状態だった。わたしたちを目にすると、すぐにビーチパラソルと簡易ベッドをレンタルする男が寄ってきた。日焼けを嫌うエバにビーチパラソルは必需品だ。要求される前に借りることにした。一万五千ペソもした。
ビールを注文して、二人で簡易ベッドに寝そべった。
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