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まっすぐホテルに帰った。部屋でビデオがあるかどうか確かめた。無事だった。チバのツアーに限っていえば、危険性はまったくなかった。怖気づいてビデオを持って行かなかったことを後悔した。
けっこう汗をかいたので、二人で交互にシャワーを浴びた。わたしはパンツ一丁、エバはパンティーとブラジャーだけで、テレビを見ながらくつろいだ。テレビはさすがに一流ホテルらしく、CNNなどの英語放送も見ることが出来た。
ルームサービスで氷を注文して、二人で買ってきたロンを飲んだ。
「ねえ、こんなに高いホテル、どうして泊まったの」
「だって、エバと泊まる最後のホテルだろ」
日本にいるときは、彼女とはラブホテルしか利用しなかった。たまにはシティホテルや温泉旅館でも利用したかったが、そういうところでは外国人はパスポートの提示を求められる。オーバーステイの彼女を連れては利用しにくかった。コロンビアに来ても、サンアグスティンはともかく、あとは安宿ばかりだった。最後の夜は、豪勢にいきたかったのだ。
エバの表情を見たら、もうやる気充分だった。エバを抱き寄せ、ブラジャーを剥ぎ取った。彼女はパンティーを脱がせやすいように腰を浮かせた。
出発時間になったので、チバに戻った。ロンやコーラを飲み干したグループは、どんどん追加を注文していた。金は取らない。飲み放題だ。わたしたちの列も、ロンとコーラを追加して、二人であおった。
チバはセントロからボカグランデに向かって戻り始めた。もう終わりかなと思ったら、海岸脇の店の前で停まった。ディスコだった。エバに聞くと、このディスコでツアーが終了するのだという。
席につくと、ひとりひとりに今度もロンが一杯ずつ配られた。酒が行き渡ると、客のほとんどがフロアーに出て踊り出した。曲はメレンゲだった。エバもわたしに「踊ろう」と言った。
ボゴタのディスコに行ったときは、荷物が心配だったので踊らなかったが、今日はポケットカメラだけだったので、ズボンのポケットに突っ込んでフロアーに出た。
エバが「あなた、うまくなったね。どこで覚えた? 女?」と、少し嫉妬心を含んだ目で言った。
エバと踊るのは、一年半ぶりぐらいだった。出会った初期のころはともかく、付き合いが深まるにつれ、わたしと一緒にいるのを他の女に知られたくないらしく、ディスコには行かなくなった。それでもコロンビアの料理だけは食べたい彼女の代わりに、わたしがディスコに行き、持ちかえり弁当にして買って帰ったことが再三あった。
その間、わたしはスナックの女の子たちとたまに踊りに行っていたから、多少は進歩したと思うが、本格的に習ったことはなかった。目で見ていると、簡単そうに思えるのだが、コロンビアーノたちのリズム感には付いていけそうもなかった。日本に帰ったら、本格的にレッスンに行こうかなと思った。新宿と違い、六本木ではぼちぼちレッスンスクールが出来てきて、サルサやメレンゲを踊れる日本人が増えてきていたからである。
ツアーのディスコは三十分ほどでお開きになった。そのまま残って自腹で飲んでもいいし、帰りたいのならそれぞれのホテルに送ってくれるという。エバと相談したら、「帰る」というので、チバに戻った。客の三分の一くらいはディスコに残ったようだった。
時間は十一時を過ぎていた。三時間のコースで、ドリンク飲み放題、しかもディスコ付きで一万五千ペソ(約千五百円)は安かった。日本のパック旅行でも、安いオプショナルツアーはあるが、たいてい土産物屋と結託していて、そこからバックマージンを取ることによって成り立っている。しかし、このツアーに限っていえば、ただ安いだけ、どこにもぼられる要素はなかった。
危ないと思ってビデオをホテルに残してきたことを後悔した。こんな盛り上がりは、東南アジアなどではめったに見られない。いかにも陽気なコロンビアらしい光景だった。代わりにポケットカメラを取り出して写そうとしたが、バッテリーがなくなったのか、故障したのか、シャッターが切れない。
「おかしいなあ」とカメラをいじくっていると、エバが「どうしたの」と尋ねた。
「ちょっと、おかしいんだよ。フラッシュがたけないんだ。エバ、おまえカメラ持ってきたか」
「持ってきてない。どうして、せっかくなのに」
エバは写真に撮られるのを以前から嫌がっていて、サンアグスティンでもあまり撮らせなかった。それがいまになって積極的に「撮れ」と言うのである。よほど開放感に満ち溢れているようだった。
チバは夕方通った四キロも続く城壁の道を通った。十メートルおきくらいにスポットライトが城壁を照らしていて、非常に絵になる光景だ。ボゴタで買ったパンフレットと同じだった。一眼レフのカメラで、三脚を立て、スローシャッターで写せば言い絵が撮れるのにと、機材を持ってこなかったことを後悔した。
セントロ地区を一周し、チバが停まった。すでにもう一台のチバが停まり、客が広場に散会していた。バジェナートに合わせて踊っているカップルも多かった。わたしたちもチバを降りると、ひとりひとりに紙で包んだエンパナーダスを手渡された。軽食付きだったのだ。
ロンを入れた紙コップを持って、わたしたちはエンパナーダスをほおばりながら、みんなの集まっている広場に行った。行ってみると、そこは先ほど見た城壁の上だった。四メートルほどの高さだ。落っこちたら、死ぬことはないにしても骨折は必至だ。だが、そんなことはまったく気にする様子もなく、城壁に腰掛けてキスをしているカップルもいた。
バジェナートで踊っている連中をしばらく見ていたあと、エバとわたしはあたりを散策することにした。城壁の反対側の街のほうに行くと、百年以上も前に建てられたような、石造りの建築物が並んでいた。博物館か歴史的記念物なのかと思ったら、入り口の奥にレストランがあるのが見えた。どうやら現役のホテルらしい。ホテルカリベもかなりの年代物だったが、これはそれ以上だ。機会があったら、こんなホテルに泊まるのも味わいがあっていいなと思った。
バジェナートとは、コロンビア北部のカリブ海沿岸のカルタヘナ、サンタマルタ、バランキージャなどの町で盛んな民俗音楽である。
ボタン式のアコーディオンを使うのが特徴だ。三人の楽団も、ひとりがアコーディオン、もうひとりが金属器を叩いてリズムを取る、残りのひとりがボーカルという編成になっていた。
チバには七~八人がすでに前列に座っていた。ホテルカリベからは、わたしたちのほかに数人の客が乗った。すぐにわたしたちのチバは、バジェナートを奏でながらゆっくりと進み出した。
五分ほど走ると、いったん停まった。また客が数人乗りこんだ。そしてまた走り出し、ホテルで客をピックアップして走り出すのを繰り返した。
だが、よく見ていると、さっきから同じ道をグルグル回っていた。ホテル間を最短距離で走って客をピックアップするのではなく、適当に道を流しながら時間調整して走っているという感じである。
四十分ほどかかって、ツアーのオフィスらしきところで停まり、そこで最後の客を拾った。ほぼ満席になった。同時に、客それぞれに紙コップが手渡しで渡された。ベンチシート一列に、「ロン」というラムの一種が一本、コーラが二本ずつ、氷の入ったバケツがひとつずつ配られた。
ロンをコーラで割って飲む、「キューバリブレ」に近い酒を作って、みんなで飲むというドリンクサービスである。ただし、このロンは、日本で売っているラムよりも安いのはもちろん、アグアルディエンテよりも安いという代物だ。日本でいうチューハイやホッピーに相当するようなものだった。
ドリンク類を補給して、チバはボカグランデ地区からセントロ地区に向かって走り出した。ようやく本格的なツアー開始だ。引率者らしい三十歳くらいの男が、マイクを握って何やら叫び始めた。
もちろん、スペイン語で、わたしにはさっぱり分かりない。だが、客たちは異様な盛り上がりで、男がひとこと喋るたびに「イェーイ」と喚声を挙げている。横を見たら、エバも「イェーイ」と叫んでいた。
もうノリノリで、目をウルウルさせている。日本人にとってはハワイやグアム、サイパンに相当する高級リゾート地に来て、開放感が爆発したようだった。こんな楽しそうなエバは、久しく見たことがなかった。連れて来た甲斐があったと思った。
エバが、「今度はリュージ、あなたの番よ」と言った。恥ずかしかったが、仕方なく立ち上がって踊った。日本人のわたしが踊ったことで、一段と大きい喚声が挙がった。
タクシーを拾ってセントロ地区のショッピングセンターに行った。二階建てでエスカレーターもちゃんとある、きちんとしたショッピングセンターである。二階の衣料品売り場でビーチサンダルとTシャツを買い、一階の食料品売り場でコロンビアの焼酎アグアルディエンテ一本とミネラルウォーター、ビール、ソーセージやピスタチオなどのつまみを買った。ホテルにも冷蔵庫にドリンクや乾き物があったが、例によってバカ高かったのだ。
ホテルに戻る途中、何台ものチバとすれ違った。客は少ないものの、ドンチャカドンチャカと音楽を流しながら走っている。
「あちこちのホテルに寄って、お客さんを拾っていくのよ」
と、エバは説明した。いくつもチバのツアーを運営している会社があり、時間差で何台も運営しているようだ。我々のツアーの出発時間までには、まだ時間があった。
いったんホテルの部屋に戻り、ドリンク類を冷蔵庫に入れ、ビーチサンダルに履き替えて、八時少し前にロビーに降りた。だが、八時になってもチバは来ない。
「どうなってるの」とエバに聞くと、「だいじょうぶ」と、まったく心配していない様子。どうしても日本人のわたしは、コロンビアタイムには適応できず、心配性になってしまうのだ。
そのうちドンチャカドンチャカという音楽がホテルに近づいてきた。
「リュージ。来た」
エバに促されて、わたしたちはホテルの玄関を出た。ホテル前の路上には、一台のチバが停まっていた。木製のベンチシートで、一列に八人は乗れる。それが十列ほどある。後ろのほうの座席には、三人編成の楽団がバジェナートを奏でていた。
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