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あるコロンビア売春婦と一年間恋人関係にあった私は、不法滞在で強制送還された彼女を追いかけてコロンビア本国に渡って彼女の家を訪ねた。そこで見たものは…
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 昼食を終えたのち、再びジープで走り始めた。相変わらず細い山道を四~五十キロのスピードで突っ走る。対向車は、馬車くらいだった。やはりコロンビアの田舎では、まだまだ馬車が運搬の主役を担っているのだ。

 二十分くらい走っては、遺跡を散策し、また走り始めるということを繰り返し、三時ころにサンアグスティンの街中に戻った。ドイツ人とアメリカ人の三人は旅行代理店のところで降りた。簡単に「グッバイ」とだけ言って別れた。三人がわたしたち二人のことをどう思っていたのかは分からなかったが、少なくともドイツ人のアベックは無関心だったと思う。二人だけの世界に浸っていたし、エバがジャパゆきさんであろうがなかろうが、ドイツ人にはどうでもいいことなのだろう。

 ジープはわたしたちをホテルに送ってくれた。フロントで預けていた荷物を受け取り、カリに行くバスの時間を尋ねると、六時発だという。エバにバスの時間までどうするか相談すると、街を見物しようということになった。サンアグスティンの町並みを見ておくのも悪くないと思って賛成した。

 エバがタクシーを呼んだら、来たのは例の小学校の先生をやっている隣りのレストランのオバさんだった。コロンビアの教師というのは、よほど暇なのだなと感心してしまった。

 オバさんのジープで街中に入ったとき、エバが突然「リュージ、ちょっとここで待っててね」と言い出した。「何だ」と聞くと、「サンダルをショッピングする」と言って、オバさんと連れ立ってどこかに行ってしまった。安そうな店が並んでいたので、買い物意欲がわいたらしい。

 車に一人取り残されたわたしは不安になった。町並みを見まわすと、街の作りは違うものの、道はどこも舗装されていなくて、日本の昭和三十年代の田舎町のようなうら寂れた雰囲気だった。懐かしさは感じるものの、引ったくりに遭う危険性は充分あった。


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 三十分ほど散策して、再度ジープで走り出した。ちょうどお昼時に、小さな街に着いた。サンアグスティンの街に戻ったのかと思ったら、まったく違う街だった。サンアグスティンの旅行代理店でもらった簡単な地図で見ると、ものすごく小さなところの印象だったが、実際には何十キロもの広大な地域に遺跡群が散在しているらしい。ジープで見て回れるのも、そのうちの、ほんのわずかのようだった。

 運転手に、街の中の小さなレストランに連れて行かれた。昼食をここで摂るという。昼食込みのツアーのようで、メニューも出されず、運転手も含めて同じ食事が出された。チキンにライス、バナナのフライ、スープ、それにコーラが付くという定番の食事だったが、スープがどんぶりのような大きさだったのには驚いた。

 前日の夜にレストランで食べた食事より、はるかにうまかった。とくにスープははじめての味だったが、うまかった。いままで食べたコンソメ系ではなく、タマリンドか何かの香辛料をたっぷり入れ、鶏肉を煮込んでいた。ツアーのコースに組み込まれているのだから、普通は「高かろう、まずかろう」という観光客専用の店に連れて行かれるケースが多いものだが、観光客そのもののマーケットが小さいのだろう。街の住民が普段利用している、二十人の客が入れば満席の、普通のレストランだった。

 食事をしていると、レストランの前の通りを一台の大きなバスがゆっくり通過した。バスといっても、ボゴタ市内を走っていた、日本と同じような乗合バスではない。横幅が一・五倍はあり、座席はオープンで、パイプの柱が屋根を支えているだけに過ぎない。その屋根には、乗客たちの荷物が満載されていた。座席は木製で、横に八人ほどは乗れる広さだった。

 これが、ボゴタのモンセラーテの山頂の土産屋にあった、「チバ」というコロンビア独特の乗合バスだった。おそらく、一度に大量に乗客を運べるということで、独自に発達したものなのだろう。だが、こんな横幅の広いバスで、狭い山道を走れるのかどうか不思議だった。しかも、時速はどうみても二~三十キロくらいしか出ない。いずれは消え行く運命にあるのだろう。


 三十分ほど走ったところで、ジープの運転手が「降りろ」と言った。あとに付いていくと、ちょっとした滝があった。イグアスの滝とかのような大したものではない。しかし、このあたりではけっこう大きいので、名所になっているのだろう。

 ドイツ人のアベックが、もっと見晴らしがいいポジションをと、わたしたちが見物している場所より一段低い、せり出した崖っぷちのところに行って、写真を撮り出した。アメリカ人の男もそれに続いた。しかし、足を滑らしたら真ッ逆さまに崖下だ。ここも防護柵などはまったくない。運転手も「危ない」などと注意もしない。日本の観光地では考えられないことだ。事故があっても、それは自己責任だという考え方が徹底しているのではないか。

 エバが「わたしもあそこで見たい。一緒に行こう」と言い出した。しかし、そこに畳一畳ほどの広さの出っ張りである。もしかした、亀裂が入っていて、崩れ落ちるかもしれない。

「危ないから、やめろ」と言うと、横からアメリカ人の男が手を差し延べて、エバを導いた。女を寝取られたような気持ちになった。

 ビデオを取り出し、撮影を始めると、ドイツ人の男が「それは何だ」と聞いてきた。「ビデオカメラだ。日本製だ」と答えると、不思議そうな顔をした。液晶のハンディカムを見たことがないようだ。ドイツなら日本と並ぶ技術大国で、このぐらいのビデオカメラは診慣れていると思ったが、一年に及ぶ南米大陸放浪で、こういう物とは無縁に過ごしてきたらしい。

 ジープに戻って、また走り出した。しばらくすると、車は小高い丘の上に停まった。前日に見たのと同じような石像が、あちらこちらに建っている。前日見た「パルケ」があちこちから集められて人工的に配置されているのに対して、ここのは作られた古代のままに整備された遺跡のようだった。

 みんなで歩きながら見ていると、いつのまにかアメリカ人とエバが一緒に歩きながらスペイン語で話している。ドイツ人のアベックはアツアツだから、わたしひとり除け者にされた格好だ。エバの心の中には、まだ日本人と一緒にいると恥ずかしいという気持ちがあるのだと感じた。

 


 九時を十分ほど過ぎて、迎えのジープがやって来た。ジープには、中年の運転手のほかに、三人の先客がすでに乗っていた。三人とも二十代前半の若者たちだった。ひとりは女性だった。

「ハロー」と挨拶して車に乗りこみ、自己紹介した。三人のうちふたりはドイツ人のアベックで、一年かけて南米大陸を横断しているバックパッカーだった。もうひとりはアメリカ人の留学生で、エバの故郷サンタンデール州の工学系大学に通っているという。ここサンアグスティンには、休みを利用して遊びに来たらしい。

 わたしとは英語で話しをしたが、三人とも南米に長く滞在しているため、スペイン語がペラペラだった。五人のうち、わたしだけがしゃべれないという肩身の狭い立場だった。

 ジープはいったん街中を抜けてから、どんどん山道を登って行った。それもようやく車一台しか通れないような砂利道を、四十キロくらいのスピードで、どんどん飛ばしていく。道の片側は、何十メートルもの崖になっていた。ガードレールなんてものはまったくない。運転を誤れば、真ッ逆さまに転落してお陀仏になるのは明らかだった。

 JTB主催のツアーならともかく、こんな現地の安ツアーでは、万一のことがあっても治療費や保険など出ないだろう。ひょっとして、こんなところで人知れず死んでしまうことになるのかなと、正直思った。


 翌朝、七時過ぎに目が覚めた。ベランダの窓を開けると、ホテルのプールが目に入った。四月だから、朝の空気はまだ肌寒い。この季節、プールに入るものは誰もいないらしく、プールには枯れ葉が漂っていた。

 九時にはジープが迎えに来る。それまでに早めに朝食を済ませておこうと、エバを起こして階下の食堂に行った。ふたりの子供を連れたファミリーが、先に食事をしていた。朝食は、万国共通のトーストに卵焼き、コーヒーという簡単なものだった。

 部屋に戻って、荷物の整理をした。ジープでの遺跡めぐりが終わるのは、予定では三時過ぎだった。それまで荷物を残しておくと、超過料金を取られるので、チェックアウトをしておき、荷物はフロントに預けておこうと思ったのだ。

 荷物の整理が終わり、エバに「荷物を預かってくれって、フロントに言ってくれよ」と言うと、「あなた、自分で言う。スペイン語の勉強!」と拒否された。わたしにどうしてもスペイン語を覚えさせようというのだ。

「エバ、荷物を預かってくれって、どう言うんだ」

「プエデン・グァダールメ・エル・エキパッヘでいいの」

「分かった。でも、もうすぐ迎えに来る時間だよ」

「わたし、まだドライヤーで髪を乾かしているから、あなた先に行ってて」

 チェックアウトの時間がかかるのを予想して、わたしは九時十分前にフロントに降りて行き、チェックアウトを済ませ、荷物を預かってもらった。宿泊代はクレジットカーが使えたので、カードで払った。

 だが、九時になってもエバが降りてこない。じれて部屋に戻ると、まだドライヤーを使って髪を整えていた。女がのんきに化粧するのは万国共通らしい。わたしは「早く、早く」とせかして、階下に連れて行った。

 幸い、まだジープは来ていなかった。

「ほらね。まだだいじょうぶでしょ」

 エバが言った。どうしても、日本人のわたしには時間をきっちり守るクセが抜けなかった。


プロフィール
HN:
出町柳次
性別:
男性
職業:
フリーライター
趣味:
ネットでナンパ
自己紹介:
フリーライター。国際版SNS30サイト以上登録してネットナンパで国連加盟国193カ国の女性を生涯かけて制覇することをライフワークにしている50代の中年。現在、日刊スポーツにコラム連載中(毎週土曜日)。
新著「体験ルポ 在日外国人女性のセックス」(光文社刊)好評発売中。
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