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「あと、何欲しい」
「そうだな。パンツとシャツ。あと靴下」
出されたパンツはボクサー型とビキニ型だったが、わたしはいつもボクサー型を愛用しているので、ボクサー型を二枚買うことにした。シャツも二枚、靴下も二枚買った。
清算しようとすると、エバが「スーツは買わないの。コロンビア安いよ」と言った。いくら安いと言っても、コロンビアでスーツを着ることはあるまい。着たら強盗に狙われるだけだ。お前はいつから店員になったんだとむかついたので、「いらない」と無視してチェックを頼んだ。
二万円くらい取られるかなと思ったが、意外にも約十万ペソ(一万円)くらいだった。案外安かったなと思ったが、現金が乏しくなっていたので、カードで払うことにした。手続きをしてもらっている間に、エバに「この中で両替ができるところはないか聞いてくれ」と言った。
「この店の向かい側にある」
エバが言った。ズボンの裾上げが出来上がるまで、両替をしたり、ショッピングモール内を見て回ることにした。
教えられたところは貴金属店だった。東南アジアでも、「マネーチェンジャー」という看板を掲げてなくても、貴金属店などで両替やクレジットカードでキャッシングできるところがある。それと同じようなものなのだろう。
店員がいくら両替をしたいかと聞いてきた。こういうところのレートの相場がどうなっているか分からないから、とりあえず二百ドル両替することにした。ところがわたしが渡した百ドル札を、店員はルーペを使ったりしてじっくりチェックしている。
疑われているような気がして、いい気分ではなかったが、副業でやっていることもあって、新ドル札をまだ見慣れていないのかもしれなかった。
チェックが終わって、ペソが渡された。十九万八千ペソ。百ドル九万九千ペソだった。空港よりはるかにレートがいい。両替を終えたあと、エバが「ここレート高い。あなた、もっとチェンジする、オーケーよ」
しかし、あまり多額の現金を持つとろくなことはない。エバにだって、わたしがいっぱい金を持っていると思われると、どこまでたかられるか分からないから断った。
「あなた、今日、これから何する」
エバが突然尋ねてきた。しばらく考えてから「ロパ(洋服)を買いたい」と答えた。
エバが言った。
「オーケー。ショッピング行く。あとで、お姉さんのアパート行く。大丈夫」
もちろん、オーケーだ。エバのお姉さん、リリアナのところには、一度挨拶に行かなくてはと思っていた。というより、コロンビアの普通の家庭を覗いてみたいのだ。エバのアパートは、いわばジャパゆきさんの成果である。平均的家庭ではない。
それに対して、リリアナの家庭はエバの援助が多少あったにせよ、リリアナが会社の事務員をやりながら生活している平均的な中流家庭であるはずだ。エバが「コロンビアはみんな貧乏」という、その「貧乏ぶり」を見てみたかった。
七時ころ、タクシーを拾い、十五分くらい走った。着いたのは、大きなショッピングモールだった。二階建てだが、日本のイトーヨーカドーやジャスコなどよりはるかに大きい。洋服屋やレストラン、レコード店、ハンバーガーショップなど、専門店が何十と並んでいる。
まずは一階の紳士服専門店に入った。わたしはスーパーの洋服売り場のような安物を買いたかったのに、店構えは高級ブランド店のような感じだ。高いのではとビビッたが、エバはさっさと入っていき、店員にわたしに合う服を探してくれと交渉を始めてしまった。
しょうがない。シャツの一枚くらいで退散しようと腹を決めた。ところが、品物を見ていると、けっこう物がいい。デザインもいい。日本なら一万円前後するかなと思うようなカジュアルシャツが二万ペソ(二千円)くらいだ。「これ買う」とエバに言うと、店員が「ズボンはいらないか」と言う。
ズボンも一本しか持ってこなかったので買う必要はあった。しかし、ズボンなどを買うと裾上げをしなくてはならない。アパートに帰り、エバができるか心配だったので、エバに聞いた。エバは店員と少し話したあと、「大丈夫。三十分でできる」と答えた。それならハンバーガーを食べながら時間をつぶせばいい。下手すると何日も待たされる日本とは大違いのサービスの良さだった。
部屋に戻り、買ったばかりのCDをかけてみた。ミゲル・モリーは、やはりいい。二曲目の「JUNT A TU CORAZON」だけでなく、一曲目の「LLORE」、三曲目の「SIEMPRE,SIEMPRE」、四曲目の「DULCEMENTE BELLA」、八曲目の「MAMITA MIA」など、ほとんどの曲がいい。
アルバムタイトルが「GRAND EXITOS」とあるから、ベストアルバムなのだろう。日本で二年あまり探し続けてなかったのに、コロンビアでは一軒目で手に入った。さすがは本場だ。カバーを見てみると、メレンゲの中でも「テクノメレンゲ」というジャンルに入るらしい。
ところで、ミゲル・モリーの歌は、曲の合間に「マミータ」という言葉が必ず入ってくる。サルサやメレンゲの曲の間奏の部分には、それぞれのグループの名前を合いの手のように入れている場合が多い。
それが、どうしてミゲル・モリーの場合だけ、自分の名前ではなく「マミータ」(もともとはママを指すマミーからきているが、コロンビアでは親しい女性一般を指す愛称となっている)という言葉を使うのか。不思議に思ってエバに聞いてみた。
ところが、エバの答えは「知らない」の一言だった。そんなことに関心を持つのは、わたしが日本人だからだろうか。
次にバジェナートのCDをかけてみた。アレハンドロ・デュランという歌手のものだ。アコーディオンを小脇に抱いたジャケット写真から見ると、かなりのおじいちゃんだ。コロンビアの村田英雄か三波春夫のような存在なのだろうか。
これもアルバムタイトルが「16GRAND EXITOS」とあるから、ベストアルバムらしい。改めて一曲目の「ALICIA ADORADA」という曲をじっくり聴いてみると、どこかで聴いたことがある。思い出してみると、カルロス・ビベスのアルバムに入っていた曲だった。わたしは「LA GOTA FRIA」だけがバジェナートを現代風にアレンジしたとばかり思っていたが、アルバム全体がバジェナートの名曲をリメークしたものだったようだ。
アコーディオンを伴奏に、しわがれた声で朗々と歌い上げる彼の曲は、どれも渋味があって味わい深い。ラテンミュージックに入り始めた当初は、ミゲル・モリーのようなアップテンポなメレンゲが好きだったが、バジェナートのような曲は、聴き込んでいくにしたがってその魅力が分かっていくようだ。
満腹し、勘定を済ませて店を出た。エバはアパートに戻るつもりのようだ。レストランの数十メートル先に、薬屋があった。わたしは足を止め、エバに言った。
「エバ、ちょっとここでメディシーナ(薬)買いたい。寝る薬。あと頭痛いの薬」
「オーケー。ちょっと聞いてみる」
時差ぼけで、頭がまだボーッとしていた。今日の夜はぐっすり寝て、頭をすっきりさせたかったのだ。日本から持参した睡眠薬は、正確に言えば睡眠薬ではなくて、導眠剤だった。いわば眠るきっかけを与えてくれるだけで、薬としては弱いもので、しかも四時間くらいしか効かない。数も残り少なかったし、コロンビアの薬がどんなものか試したい気持ちがあったのだ。もちろん、街の薬屋で買うのだから合法的なものである。
エバが店のおばちゃんと二言、三言話した。するとおばちゃんが二種類の薬を差し出した。
「リュージ、これ、頭痛いの薬。あと、これ眠る薬。でも、これ強いから一つだけ買うできる。危ないかもしれないからね」
頭痛の薬は錠剤だったが、睡眠薬はカプセルで一箱に十個入っていた。
「オーケー。いくら」
「頭痛いの薬は千ペソ。眠る薬は二万ペソ」
二万と聞いて、「エッ」と驚いた。よく考えれば二千円程度なのだが、コロンビアの物価から考えると相当高い。ちゃんと印刷された市販用の箱に入っているものだから、ヤミのものではないだろうが、外人だと思って吹っかけられたのだろうか。ともかくモノは試しと買ってみることにした。
薬屋の二軒先の角を曲がると、エバのいるマンションの通りだった。エバの姿を見つけると、ボーイがドアを開けてくれた。朝とは違い、黒人の血が入っているらしい男だった。例によってエバは郵便物をチェックし、エレベーターの前に立った。
「リュージ、これ見て。わたし、イタリアのお姉さんからコレクトコールかかってきた。長い長い話した。だから、これだけ今月電話のお金払う。でも、お金ない」
エレベーターの向かい側に住民に対するものと思われる張り紙がしてあった。それにはエバの部屋番号のところに何やら数字が書いてあった。数えてみると、二十万ちょっとだ。エバは暗にわたしに払ってもらいたそうな口振りだったが、「ふーん」と言って気づかないふりをした。
わたしに電話した金ならともかく、どうして彼女のお姉さん、しかも金に困っているわけでもないサリーとの電話代をわたしが進んで払わなくてはならないのだと思ったからである。
エバが「こっちよ」と言いながらすたすたと歩き出した。歩くのが嫌いなエバが歩くのだから、よほど近いのだなと思った。日本にいるとき、彼女はとにかく歩かなかった。ほんの四、五百メートル先のところへ行くにもタクシーを利用したがって閉口した。「近いと乗車拒否されるから歩こう」と言っても理解されず、逆に「ケチ」と言われた。もちろんオーバーステイしていたから不審尋問されるのを恐れていたということもあるが、それを割り引いても歩くのを億劫がった。
これは別に彼女だけに限ったことではなく、開発途上国の人間に特有のものではないかという気がする。例えばタイやフィリピンなどではシクロやジプニーなどのように、日本円で数円単位で乗れる公共交通機関が存在する。タクシーやバスなどは中・長距離用、数百メートルから一キロくらいの近距離はこれらに乗るという使い分けをしている。もちろん金のない人間は長距離にも利用するのだろうが、シクロやジプニーを利用すれば、ほとんど歩くことはないのだ。
コロンビアには、これらに相当する極端に安い乗り物はなかった。むしろコロンビアでは歩くこと自体が強盗などに遭う危険があるため避けているのではないだろうか。
しばらく歩くと、エバが立ち止まり、一軒のレストランを指差した。「ここオーケー?」。別にどこでも不服はないが、さっき言っていた中華レストランとはどう見ても思えない。
「エバ、これレストランテ・チノ?」
「ノー。ここ、コスタのレストランテ。ペスカード(魚)ある。大丈夫?」
「ああ、大丈夫」
何の気まぐれかしらないが、ほんの数分で行き先が変わってしまった。コロンビアーナらしいと言えば言えるが、いったい何を考えてるんだろうと思ってしまう。
店員が持ってきたメニューを見ながらエバが適当に注文した。しばらくすると、平目のような魚をカリカリに揚げた料理とスープ、ライスが出された。メインディッシュである魚には、日本のコロンビア系レストランと同じようにフライドポテトとトマトを薄切りにしたものが添えてある。
「おいしい?」
エバが聞いた。
「おいしいよ」
実際おいしかった。コロンビア料理は、やはり日本人に合う。東京のラテン系ディスコではペルー料理を出す店もあるが、コロンビア料理と似ていてもやはり違う。ましてや同じ中南米でも、メキシコやブラジルの料理となると、天と地ほども違う。その中で、コロンビア料理は地域によって味は違うにせよ、肉が硬いことを除けば基本的な味付けは食にうるさい日本人をも納得させるものだと思う。
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