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あるコロンビア売春婦と一年間恋人関係にあった私は、不法滞在で強制送還された彼女を追いかけてコロンビア本国に渡って彼女の家を訪ねた。そこで見たものは…
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「あと、どこへ行く?」とエバが聞いた。

わたしは「地球の歩き方」のページを繰りながら、古代遺跡のあるサン・アグスティンや、サルサの都のカリ、カリブ海の都市で、コロンビア独特の民族音楽バジェナートの発祥地であるサンタ・マルタやバランキージャ、カルタヘナなどの地名を挙げた。

「そんなにいっぱい、お金がかかる」とエバは言った。

「大丈夫。ある」

  現金とトラベラーズチェックで足りなければ、カードを使えばいいだろう。カードを使えるところは少ないと聞いていたが、大きな町なら大丈夫なはずだ。

「でも、わたし、忙しい」と、エバは言った。

「どうして」

コロンビアに行くのは一ヶ月以上前から彼女には伝えておいた。彼女は無職だから、当然、十日間スケジュールを空けてくれていると思っていた。

「わたし、ウニベルシダード(大学)へ七月から行く。でも、まだ入学のオーケーない。だから今、社長(学長のことらしい)に手紙書いている。今日も、五時から友だちといっしょに大学に行く」

エバは日本に来る前に大学を中退していた。ボゴタ市内にある心理学科だけのカレッジに通っていたのだが、単位を落として中退した。

日本に来るコロンビアーナたちの多くは、高校どころか中学さえ満足に出ていないのが多い。それで以前、「じゃ、どんな心理学者が好きか、言ってみろ」と意地悪な質問をしたことがあった。すると、「んー…、長いこと勉強してないから忘れた」と答えた。だから、せいぜい高校を出たくらいで見栄を張って「大学中退」と言ってるのだろうと思っていた。

ところが、彼女の裁判を傍聴したとき、検察側が彼女の所持していた学生証で身元を確認したと言ったので、嘘をついていたのではなかったのだと分かった。

彼女の父親は石油関係の会社のけっこう偉いさんだったらしく、父親が亡くなったあとも、その会社の奨学金で大学に通っていた。ところが単位を落としたことで奨学金を打ち切られ、退学を余儀なくされたのだ。

わたしには、「ボーイフレンドに夢中になって、単位を落とした」と言っていた。付き合いだした当初は「毎日会いたい」と言っていたくらい一途なところがあったから、頭が悪くて退学したのではないとは思っていた。

エバは二十一歳まで処女だったという。十代前半で子供を産んでしまうこともあるコロンビアーナどころか、いまどきの日本のコギャルよりオクテだ。嘘だと思って理由を聞いてみたことがある。

彼女によると、大学生のころまではお姉さんたちの監視がうるさかったし、セックスが怖かった。二十一歳になったので、もういいだろうと処女を恋人にささげた。そしたら、男に夢中になり、もっと早く処女を捨てればよかったと思ったらしい。そんな純な部分を残しているコロンビアーナもいるのだ。

そんな彼女が退学して一年も経たないうちに、恋人とも別れ、日本に「売春婦」としてやってきた。わたしには、その「落差」が理解できなかった。

「あと、来週、わたし、シュルジーする」と言って、鼻を指差した。鼻を整形手術するつもりらしい。日本にいるときも、「コロンビアに帰ったら、わたし、バストと鼻を手術する。あなた、わたしがもっときれいになって、びっくりするわよ」と言っていた。わたしはそのたびに「止めたほうがいい」と言っていたが、まさか本気で手術するとは思っていなかった。

確かに彼女はインディオの血が少し入っているらしく、鼻ペチャ気味だ。しかし、それはそれで愛嬌があったし、バストの方は十分すぎるほど大きく、手術の必要性はさらさらなかった。

ときどきシリコンをバストに入れている女はいるが、触れば感触ですぐ分かるし、男にとってあの違和感は、あまり気持ちいいものではない。

整形は彼女のお姉さん、サリーの影響らしかった。エバのすぐ上の姉のサリーは、いまはイタリア人と結婚してイタリアに住んでいるが、かつて日本に二回出稼ぎに来ていた。彼女は一回目の帰国のあと、稼いだ金で鼻を整形手術したらしい。

二回目の来日のときは、エバが来日費用を負担して呼んだので、わたしもサリーと何度か会ったことがある。手術前の顔を知らないので、どれほど変わったかは分からないが、エバと違ってインディオの血は感じさせない顔立ちにはなっていた。

「別に俺がコロンビアにいるときに手術しなくてもいいだろ。帰ってからでもいいじゃないか」

「ノー。わたし、七月から大学行く。六月はイタリアのお姉さんのところに行く。手術のあと、少しリハビリの時間がかかる。だから、わたし、時間がない」

「でも、一週間くらい関係ないだろ。六月に行くなら、まだ一ヶ月以上ある。大丈夫だ」

「ノー。時間ない」

わたしには、彼女がこじつけで言っているような気がしてならなかった。彼女に限らず、ラティーナは感情がストレートに出る。エバとわたしの間に溝があるのは確かだった。


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全部食べ終えたあと、エバはどこへ行きたいかと聞いた。

わたしは「エバのパパとママのお墓に行きたい」と言った。彼女はボゴタに現在住んでいるが、生まれ育ったのはもっと田舎だった。わたしは彼女がどんな所で育ったのか知りたかった。とたんに彼女は「あなた、わたしのストーリーを書くつもりか」と顔を曇らせた。

わたしは「そう、わたしは書く。売れてお金持ちになったら、半分プレゼントするよ」と茶化して返事した。その方が、中途半端に嘘を言うよりいいと思ったからだ。

「遠い」とエバは言った。

「どこ?」

「バランカベルヘマ。サンタンデール州にある」

エバの出身地については、付き合い始めたころにも聞いたことがあったが、聞いたこともない土地だったので、忘れてしまった。しかし、コロンビアについてはけっこう詳しくなったいま聞いても分からない。

持っていった「地球の歩き方」の地図を開いても、載っていない。サンタンデール州という州のことさえ載っていない。日本では、この「地球の歩き方」以上にコロンビアについて詳しいガイド本はなかったので、知らなくて当然だった。

エバの両親は、すでに亡くなっていた。母親は五歳のときに、父親は十八歳のときに、共に病気で死んだ。彼女は二十一人兄弟の末っ子だった。といっても、彼女の母親が二十一人も生んだわけではない。エバの父親には五人の妻がいて、彼女の母親は五人目の妻だった。そして、五人の娘を産み、エバはその末っ子だった。

このことも、出会った当初に聞いていたが、「こんなことは恥ずかしいから、ぜったいにシークレット」と言っていた。

コロンビアは、ほとんどがカトリック教徒である。一度結婚すると、離婚は原則認められない。仮に前妻が死んで、後妻をもらったとしても、四人も続けて死ぬわけがない。おそらくエバの母親は、愛人のような存在だったのだろう。

「お墓、わたし、どこにあるのか分からない。昔、一回行っただけ。でも、お姉さん知ってる」

行く気になったらしい。

彼女の部屋には、両親の写真の類がいっさい飾ってなかった。ラテン諸国はファミリーの結束が固いはずだ。日本に来ているコロンビアーナで、故国に子供を残して来ている女は、たいてい自分の子供の写真を持ち歩いて、親しくなると「かわいいでしょ」と自慢げに見せてくれる。

両親の写真がないのに合点がいかなかったので、「どうして、パパ、ママの写真がないんだ」と聞いてみた。すると、「お姉さん、持ってる。でも、わたし、持ってない」と言った。いまでこそ、コロンビアではカメラは身近なものになったが、彼女の母親が死んだ二十年くらい前は、めったに写真を撮る機会がなく、末っ子の彼女には写真が回ってこなかったのだろうか。


 エバは日本のCDを見て、目を輝かせた。そして、中島みゆきの最新アルバムだった「大吟醸」を引っ張り出し、ステレオにかけた。

 ステレオはミニコンポだったが、日本製ではなく、フィリップ社製だった。日本のものより少し大きめだった。コロンビアに帰ってから買ったものなのだろう。

「大吟醸」の一曲目は、日本テレビのドラマ「家なき子」の主題歌でヒットした「空と君との間には」だった。このアルバムは中島みゆきのベストアルバムなので、彼女の過去のヒット曲「時代」なども多数収録されていた。

 エバは曲の出だしを聞いた途端「ベリーグッド。リュージ、ありがとう」と微笑んで言った。そして、「リュージ、お腹空いてる?」と尋ねた。

 飛行機の中で、到着二時間ほど前に機内食の朝食が出た。それ以来、何も食べてない。「空いた」と言うと、中島みゆきの曲をそのまま流しながらキッチンで料理を始めた。彼女が料理をしているのを待つ十分ほどの間、わたしはソファに座りながら土産物を全部取り出し、フロアに並べた。

 エバはそれを見て、「オー、いっぱいね」と言った。 「これ、みんなあなたのお姉さんのファミリーへのプレゼントね。でも、誰がどれ欲しいか分からない。あなた決める。オーケー?」 「オーケー。できたよ、食べる?」

 テーブルの上には肉料理とポテトフライ、ライスにオレンジジュースが並べられていた。肉といっても、豚か牛の内臓らしいものを香辛料で炒めたものだった。

 東京のコロンビアレストランでは、レバー料理はあるものの、メインは普通の牛肉ステーキだった。だが、本国では内臓料理もポピュラーらしい。

 フライドポテトは添え物として必ず付いてくる。米はパサパサの長粒種、いわゆる「タイ米」で、塩味を付けて軽く炒めてあった。

 数年前の米不足のとき、日本ではタイ米がまずいと騒いで問題となった。しかし、わたしは東京のコロンビアレストランでライスを食べてもまずいと思ったことは一度もなかった。

 東京のコロンビアレストランでは、タイ米を使っていた。米が安いこともあるが、まずいと思うのは炊き方が日本式だからで、コロンビア流の炊き方をすれば下手な日本米よりおいしくなる。東南アジアでチャーハンを食べた人なら分かると思うが、日本米ではけっしてあれほどおいしいチャーハンを作れない。要は調理の仕方なのだ。

「おいしい?」とエバが聞いた。正直言って、内臓料理はあまり好きではない。まずくはないが、おいしくもなかった。だがせっかく作ってくれたエバの手前、「おいしい」と言った。

「わたし、いつもクッキングしない。わたし、ひとりで住んでる。だから、面倒くさい」
「ノー。あなた、クッキングへた。だからクッキングしない」 わたしは少し茶化して言った。
「そう。わたし、できる、これだけ」  エバも、苦笑いしながら言った。

 日本でエバの手料理を食べたのは、彼女が十日間休みを取って千葉のアパートにいたときの二度だけだった。彼女がそのアパートを借りていたのは数ヶ月間だけだったし、仕事があるときは、荷物を持って仕事場を転々としていた。だから、物理的に彼女の手料理を食べる機会がなかった。

 スナックの仕事ならアパートが必要となるが、ストリッパーの場合は原則楽屋に寝泊まりするため、特に必要ない。それでもほとんどのコロンビアーナたちは、姉妹や友人たちと共同でアパートを借りているが、荷物を置くためだけになりがちだ。それでエバは、アパートの家賃がもったいないといって借りようとはしなかった。

 仕事仲間を信用していなかったこともある。彼女たちは、全国の仕事場を転々としている。一ヶ月以上、アパートを空けることもざらだ。その間、同居人やその仲間に荷物を盗まれることもある。肉親でないかぎり、けっして信用できないのだ。もっとも、その肉親だって信用できない場合があるのだが、それは後述する。

 エバが料理を本当に好きなら、たとえ一人暮らしであっても作って食べる。男のわたしだって、一人暮らしのときは、たまには自分で作って食べた。料理の本のレシピを見ながら、一つずつ未知の料理を作って征服していくのはけっこう楽しかった。

 彼女の部屋の冷蔵庫を開けてみたが、ジュースや卵などが数品入っているだけで、野菜などはまったく入っていない。中はがらんとしていた。およそ女の子の部屋の冷蔵庫とは思えない。料理が好きでないことは明らかだった。


 エバの部屋は、日本流でいう1LDKだった。

 といっても、リビングは十畳くらいはあった。ソファやダイニングテーブル、ステレオ、飾り棚など、一応の家具は揃えてあった。  ベッドルームには、ダブルベッドやテレビ、ダブルカセットデッキなどが置いてあった。カセットデッキは、彼女と付き合いだしたころ、船橋のディスカウントショップでおねだりされて買ってやったものだ。

 そのほかにも、横浜の中華街に行ったときに買った七福神の木彫り人形や、大阪の入管で最後の面会に行ったときに差し入れた、京人形などが飾られていた。でっかいミッキーマウスのぬいぐるみもあったが、これには見覚えがなかった。おそらく、わたしと別れたあと、誰かとディズニーランドに行き、プレゼントさせた「戦利品」だろう。

 部屋はきちんと整理整頓されていた。帰国してまだ三ヶ月しか経っていないので、それほど生活道具が揃っていないせいもあるが、かつて彼女が姉のサリーと数ヶ月間だけ借りていた千葉のアパートも小奇麗にしていた。整理整頓するのは、彼女の性格なのだろう。

 わたしは荷物を開きながら、「エバ、これ、お土産」と言った。わたしの荷物は大きなトランクとリュックサックの二つだったが、中身のほとんどは彼女とそのファミリーへのお土産だった。

 といっても、それほど高価なものではない。日本のCDやストッキング、成田空港で買った日本土産らしい絵柄のTシャツ、櫛などの小間物、マルボロ、シーバースリーガルなどの免税品だった。

 彼女の両親はすでに亡くなっているが、お姉さんのファミリーは多い。数が足らなくて困らないよう、安くて日本らしいものを数多く用意しておいたのだ。<  日本から電話して、お土産が何がいいか聞いたとき、エバは日本のCDが欲しいと言っていた。彼女は日本の歌が好きだった。コロンビアーナというと、ディスコで踊り狂っている女たちばかりを想像しがちで、日本の歌など興味がないように思われているかもしれないが、実際はそうではない。

 ある程度の滞在期間がある女なら、日本のたいていのヒット曲を知っている。スナック勤めの女なら、半年くらいで何曲かは日本の歌がカラオケで歌えるようになる。ユーミンの「真夏の夜の夢」や尾崎豊の「アイ・ラブ・ユー」などは、彼女たち共通のお気に入りの歌だ。

 エバ自身の仕事はストリッパーが中心だったが、劇場では始終音楽を流しているし、スナック勤めの経験も多少あったので、日本の歌は嫌でも覚えてしまう環境にあった。気に入った日本の曲は友だちにダビングしてもらっていたようで、わたしが車の中でサルサやメレンゲのテープをかけていると、勝手に日本の歌のテープに替えてしまったことが何度もあった。

 そのくらい日本の歌が好きだったから、「お土産は何がいい?」と聞いたとき、いの一番で日本の歌のCDをリクエストしたのだ。  わたしは東京の中古CD屋をいくつか回り、彼女の気に入りそうなCDを買い集めた。新品のアルバムだと二千五百円くらいはする。見栄えより、数が多い方が彼女は喜ぶだろう。

 それで尾崎豊や中島みゆきなどのアルバムを七、八枚、シングルCDを二十枚ほど買って持っていった。シングルの中古なら百円から四百円。数のわりには、かなり安上がりになった。

エバのアパートは、ノルテという地区にあった。ボゴタは人口五百万人の大都市だ。コロンビアでは、どの町でも「セントロ」(中心)という地区があり、文字どおりそこが町の中心街なのだが、ボゴタの場合は「ノルテ」(北)と呼ばれる地区が、東京の山の手のような高級住宅地となっていた。逆に「スール」(南)と呼ばれる地域はスラムがある貧しい人たちの住む地域だった。

タクシーは、そのノルテの高級マンションばかりが立ち並ぶ地域に入って行き、ある九階建てのマンション前で停まった。エバに促されて、車を降りた。エバに「いくらだ」と聞くと、「一万ペソ」と言って、わたしの財布から一万ペソ札を抜き取って運転手に渡した。

一万ペソは、日本円で約千円だった。コロンビアで初めて支払う金額なので、この額が妥当なものなのか、ぼられているのか皆目見当がつかなかった。しかし、現地人のエバが納得しているので、相場なのだろうと思って払った。

マンションの玄関の前に立つと、中にいたホテルのドアボーイのような制服を着た二十代の青年がドアを開けてくれた。何度か日本からエバに電話したとき、応対してくれたのは彼なのだろうか。

管理人というから、日本の感覚で、六十過ぎの定年退職した老人がやっているものばかりと思っていた。ところが働き盛りの青年だったのだ。

エバは彼に郵便物やメッセージがないか彼に確かめ、わたしをエレベーターに促した。

エレベーターは六階で停まった。彼女の部屋は、エレベーターの真向かいにあった。左右にもう一つずつ部屋があった。ワンフロアーに、部屋が三つずつあるマンションだった。

エバはバッグから鍵を取り出し、上下二つの鍵を開けた。ドロボウ避けのため、二重ロックになっているらしい。世界一安全な国日本では、鍵は一つなのが当たり前だが、以前テレビで鍵師が「鍵は二つ付けて鍵と言えるんです。一つだけならプロはあっという間に開けられる」と言っていた。ドアボーイといい、二重ロックといい、世界で最も危険な国の最右翼に挙げられるコロンビアの高級マンションでは当然なことなのだろう。


プロフィール
HN:
出町柳次
性別:
男性
職業:
フリーライター
趣味:
ネットでナンパ
自己紹介:
フリーライター。国際版SNS30サイト以上登録してネットナンパで国連加盟国193カ国の女性を生涯かけて制覇することをライフワークにしている50代の中年。現在、日刊スポーツにコラム連載中(毎週土曜日)。
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「サイバーセックス日記」http://demachiryuji.seesaa.net/
「洋楽カラオケ日記」
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