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裁判は、まず人定尋問から始まった。エバの手にかけられていた手錠が隣の女性刑務官によって外され、宣誓台の前に立たされた。テレビなどで見る法廷シーンと同じだった。それまで気がつかなかったが、ずっと手錠と腰縄がかけてあったらしい。
エバ・ガルシア・セルナ、一九七四年生まれ、コロンビア国籍、日本での住所不定と読み上げられ、それに間違いないかと問いただされた。
あれっと、生年月日を計算して思った。一九七四年生まれだとすれば、二一歳になってしまう。以前、わたしは彼女から七〇年生まれで二五歳だと聞いていた。普通、若く言うことはあっても、わざと歳を上に言うことはない。知り合ったころは一つさばを読んでいて、身分証明書を見せてもらったとき、「なんだ、違うじゃないか」と怒った記憶がある。聞き違いなのだろうか。今度会ったときに確認しようと思った。
次に、検察官が起訴状を読み上げ始めた。それによると、まず罪状は出入国管理法違反とあった。彼女は両親が十二歳のときに死亡し、兄弟は十五人いたが、姉サリーのところに同居しながらボゴタ市内の大学の心理学科で勉強を続けていた。しかし、単位が取れなかったために、父親が勤めていた石油卸販売会社の奨学金を打ち切られ、中退を余儀なくされた。そのため、友人の紹介でコロンビア人女性○○・○○に日本で仕事を斡旋され、同女と共に一九九三年七月二五日に成田空港から入国した。
まず池袋で売春の仕事を始め、その後、千葉県銚子市などで売春の仕事を続けた。一ヶ月ほどで旅費を彼女に返済したあと、同女は帰国。エバ本人は、ダンサーとして全国各地を回っていた。ビザは三ヶ月の観光ビザであったのに、二年にわたって不法滞在をしていたことになる。
そして、一一月一日午前八時四〇分、M空港で警察官に職務質問され、パスポートを所持していなかったため逮捕された。本人は、コロンビアの姉リリアナが早産して、世話をする人がいないため帰国を決意。入管に出頭して帰国の手続きをして、出国するまでに一週間ほどかかるため、その間、知り合いの日系ペルー人○○・○○の経営する埼玉県K市にあるスナック「○○○」で働かせもらうよう頼み、東京に向かっていた途中であった。
その証拠として、本人の供述証書五通のほか、Mミュージック社長○○、逮捕時の警察官らの調書一五通を提出すると言った。Mミュージック社長の調書では、確かに不法滞在だと分かっていたが、仕事をさせたとある。検察官の朗読中、通訳が訳す言葉を聞きながら、エバは何度も涙を拭っていた。
大筋では、わたしが聞いていた話と大差はない。しかし、まず兄弟姉妹が一五人というのはおかしい。わたしは二一人と聞いていた。もちろん、ひとりの母親からそんなに生まれるはずがないので、異母兄弟を含めての数である。彼女は恥ずかしいので、そのことは隠していたのかもしれない。あるいは言ったのかもしれないが、数を少なめに言ったのかもしれないし、朗読では省いただけなのかもしれない。
だが、K市のスナックの社長が日系ペルー人だったとは初耳だった。エバはそんなことは一言も言わなかったし、彼女の友達のマリーも言わなかった。あれほどペルー人は嫌いだと言っていたのに、どうして愛人になっていたのだろうか。ペルー人といっても日系だからだろうか。
マリーによると、エバの次の仕事先はK市のスナックではなく、都内の劇場のはずだと言っていた。そこに先に荷物を宅急便で送ってあり、荷物の処置に困ってコロンビアに送り返そうかということになっていると逮捕直後に聞いていた。現在、荷物は彼女の手元にあるから、いつの時点か分からないが、誰かがエバのもとに送り返したことになる。
おそらく、エバは都内の劇場に迷惑がかかるのを恐れ、売春を行っていないというK市のスナックの名前を挙げ、そこ経由で送り返してもらったのではないか。となると、K市の社長は今回の事件の経緯を当初から知っていたことになる。彼は本当に一回もM市に面会に来ていなかったのだろうか。
警察の段階では、確かに誰も来ていなかった。それは確認している。
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