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タクシーはどんどん人気のない地区に入っていった。メインストリートらしく、片道三車線ほどあるが、すれ違う車はまばらだ。二十分ほど走ったあと、団地らしき建物が立ち並んでいる地区で止まった。
エバが「ここよ」と言った。タクシーの料金は四千ペソ(約四百円)ほどだ。女性ドライバーらしく、メーター通りの料金だった。彼女は、これで仕事を上がるのだろう。
エバのお姉さん、リリアナの住んでいるのは、日本で言えば市営住宅、都営住宅みたいなところだった。建物は三階建て、築十五年くらい。高層住宅が立ち並ぶ日本の公団のようにはきちんと整備はされていないが、建物と建物の間には植木などもある。コロンビアでは恵まれた方なのではないか。
リリアナのアパートは、そのうちのある建物の一階にあった。玄関の呼び鈴を押すと、黒髪の三十歳くらいの女性と七歳くらいの女の子が出てきて、わたしとエバを笑顔で招き入れてくれた。リリアナは、エバよりインディオの血が少し濃いように思えた。
「はじめまして、リュージです」
と、拙いスペイン語で挨拶すると「ようこそ」とリリアナは言った。傍らに旦那らしい三十過ぎの男が所在なげにうろうろしていた。わたしは彼にも挨拶し、コロンビア流に握手をした。
エバがお土産のエンパナーダスをリリアナに渡し、話をしている間に、わたしはリュックからジョニ黒やタバコ、Tシャツなどの土産を出してリリアナに渡した。日本髪を結った女の子の絵柄のTシャツは、リリアナの娘、メリーに直接渡した。彼女はニコッと笑い、「グラシアス(ありがとう)」と礼を言った。
旦那がコーラを近所から買ってきてくれたので、エバと二人で飲みながら、リリアナとエバ、わたし、旦那の四人で話し始めた。といってもわたしは満足にスペイン語が話せないので、もっぱらエバとリリアナが話しているのを聞いているだけだった。
リリアナは「あなた、英語はしゃべれる」と英語で聞いてきた。「ア・リトゥル(少し)」と答えた。話の輪の中に入れないわたしに気を遣ったのだろう。英語が多少しゃべれるということは、彼女も高校か大学を出ているはずだ。彼女たちの父親が亡くなるまでは、学費には困らない程度の財力があったのに違いない。
ベビーベッドには、生後五ヶ月くらいの男の赤ん坊が眠っていた。エバが「赤ちゃん、かわいそう。いま、彼、病気」と言って、喉を指差した。喘息か気管支が悪いらしい。
「だから、お姉さん、ときどき会社休む。お金ない。かわいそう」
エバが逮捕されたとき、彼女は会社を産休で休んでいた。早産だったらしい。その影響で病弱なのだろうか。
リリアナのアパートには電話がなかったので、リリアナの会社の信頼できる同僚に電話して、エバの消息を面会に行くたびに伝えていた。彼女は三ヶ月ほど産休を取ったあと、職場に復帰したらしい。
アパートは、日本で言う「二DK」だった。子供がいるためか、エバの部屋ほど整理整頓はされていない。だが、テレビも冷蔵庫も、一応の電化製品はあった。エバが援助した金で買ったのだろう。
スーパーファミコンもあった。日本に来たコロンビアーナたちは、クリスマスや誕生日などの節目に自分の子供や姪、甥たちに必ずスーパーファミコンを送っている。日本発の「文化」がこんな形で輸出されているのだ。
部屋自体は1DKのエバの部屋と総面積は変わらないだろう。四人家族では、手狭なはずだ。「売春」という犠牲を払って新築マンションに住んでいる妹と、手狭な二DKに甘んじている姉夫婦。彼女たちは妹のことをうらやましくおもっているのだろうか。それとも腹の底では…。それが気になってならなかった。
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