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銀行を出て、タクシーを拾った。
「リュージ、お腹すいた?」
「ああ、すいた」
「じゃ、どこかで食べる?」
「うん。あっ、いま通ったところに中華レストランがあったな」
「そこに行く?」
「ああ」
二階建ての大きな典型的な中華レストランが、大通り沿いにあったのだ。タクシーをUターンさせ、店の前に付けた。
ウエイトレスに案内されて、わたしたちは席に着いた。エバのアパートとは段違いの高級レストランだった。メニューを見ても、三倍近い。ビールをまず注文し、チャーハンと野菜炒め、春巻きを注文した。
同じ春巻きでも、大きさは日本のものより小さいものの、エバの近所の店とは味もだいぶ違った。高いからうまい、安いからまずいということではなく、料理人の出身地の違いではなかったか。
勘定を済ませ、タクシーでエバのアパートに戻った。しばらく彼女の部屋でくつろいだ。エバはスーツを着替え、いつものジーパン姿になった。
「エバ、新しいアパートはどうしたんだ。もう契約は済ませたのか」
「まだ」
「どうして。お義兄さんと昨日、見に行ったんじゃないのか」
「うん。でも、まだ」
マンションという高い買い物をするのだから、慎重になるのは分かるが、エバの計画では、いま住んでいるマンションを又貸しにして、その賃貸料で生活費に充てるというものだったはず。
あまり長引くと、貯金が目減りしていって、買えるものも買えなくなってしまうだろう。どういうゴタゴタがあるのか知らないが、エバはこのことに触れると口を閉ざしてしまうのだった。
翌朝、十一時の便だったから、わたしは早めに寝た。目覚ましをセットしておいたので、九時前には起きた。片山氏とは、翌日の十二時、ボゴタの空港内にあるレストランで待ち合わせることにした。タクシーを呼んでもらって、わたしひとりでカルタヘナの空港に向かった。乗る前に料金の確認を怠らなかった。五千ペソだった。
ひとりで不安だったが、チェックインも無事済み、定刻どおりボゴタの空港に飛んだ。飛行中も、何もトラブルはなかった。
ボゴタの空港に着いて、ゲートを出た。エバの姿を探したが、見当たらない。昨日、あれほど確認したのに、すっぽかされたのかという不安がよぎった。しかし、十分ほど遅れて「リュージ」と言いながら、エバが現れた。
彼女の格好に驚かされた。なんと紺色のスーツ姿だったのだ。いつも彼女はジーンズをはいていた。彼女のスーツ姿なんて初めて見た。何の用があって、スーツを着ていたのだろうか。
「どうして遅い」
「ごめんなさいね」
エバはそれだけ言い、遅れた理由については話さなかった。タクシーを待たせてあるというので、外に出ると、待っていたのは例の白タクの運転手だった。彼の車を利用するのは、これで三度目だった。
どういう理由でエバは彼の車を利用するのだろう。おそらく流しのタクシーを拾うより、女ひとりで乗る場合、危険性が少ないということがあるのだろうが、男としては疑いの気持ちを持ちたくなる。
車に乗って、エバのアパートに向かった、と思ったら、車は見慣れないところで停まった。オフィス街にある銀行の前である。
「リュージ、ここで降りて」
「えっ、どうして」
「いいから降りて」
彼女を空港まで乗せてきた料金も含まれているのだろう。料金一万ペソを払って、車を返した。エバはわたしを銀行の中に連れていった。そこで三十分ほど、女性の銀行員と何やら書類を交わしながら話していた。
「終わった。行く」
「何やってたの、銀行で」
「ちょっと問題あった。もう終わった」
エバはそれ以上説明しなかった。彼女が持ちかえった現金だけで三百五十万円あった。家具や何やら買って目減りしたとしても、それまでに送金した金を入れれば相当な額になるはずだ。コロンビアの利子については、どのくらいか知らないが、インフレの激しいコロンビアはかなり高いはず。
したがって、利子だけでも生活できるほど預金しているのではないか。あるいは、より配当が高い、株か投資信託にでも投資しているのだろうか。彼女が何も言わないので、それ以上は分からなかった。
食べ終わり、料金を払って、ボリーバル公園の近くに戻った。前日、エバがバッグを欲しいといった皮製品の店の前を通りかかった。
「リュージさん、ここはいい物を扱ってますよ。買いませんか。二人で買えば、かなりまけさせることが出来ますよ」
「ちょっと見てみますか」
前日は少し覗いただけだったが、本当にバッグや皮ジャンなど、上質の皮製品を揃えていた。これまでエバの買い物ばかりしていて、自分の買い物はまったくしていなかった。ひとつ何か欲しいなとは思っていたのだ。
ひとつ気に入ったものがあった。茶色い本皮のボストンバッグである。わたしはエバのアパートに残してある大きなスーツケースのほか、リュックサックに荷物を積めてきた。しかし、ボゴタで買った土産や、頼まれた食料品を買うと、とても積めこめないと思われた。いずれにせよ、何かバッグを買わなければいけなかったのだ。
そのボストンバッグは百五十ドルの値段だったが、片山氏が買うバッグと両方で、交渉して百ドルにまけさせた。いい買い物だった。
買い物を済ませ、タクシーでマンションに戻った。エレーナの家で、メイドが作ってくれた夕食を食べ、しばらくウイスキーを飲んでいた。一度、エバのアパートに電話を入れて、明日空港に迎えに来てもらう確認をしなくてはならなかった。だが、エレーナのマンションからは、直通ではかけられなかった。フロントにかけたい番号を告げ、つながったら電話がなるという取次ぎシステムだった。片山氏に負担をかけるのが嫌だったわたしは、近くのテレコンに行くことにした。
ここのテレコンは、電話が四台くらいしかない小さなところだったが、受付で指定され電話で直接かけ、あとで清算するというシステムは同じだった。電話を終え、マンションに戻ろうとすると、マンションの隣りに小さなレコード店があるのに気がついた。
中に入って、掘り出し物がないかどうか探した。やはりカロリーナのCDはなかったが、いくつかコンピレーションアルバムがあったので、店員にかけてもらった。何曲か、聞き覚えのあるいい曲があった。即座に買うことに決め、結局三枚買った。出会ったときに無理してでも買わないと、カロリーナのCDのように買いたいと思ってもなかなか買えないからだ。
結局、コロンビアに来て買ったのは、CDが十五枚、ビデオが三本になった。金に余裕があったなら、トランク一杯買ってしまったかもしれないほど、コロンビアのCDは魅力的だった。
マンションに戻って、再び酒を飲んだ。エレーナが、今日もディスコに行かないかと誘ったが、断った。あらかたディスコの様子は分かったし、女も買う気にはなれなかったからだ。
「そうか。まあ、仕方ないな。じゃ、セントロでも行くか」
わたしは片山氏たちとタクシーでセントロに向かった。といっても、別にどこに行こうというあてがあったわけではない。退屈だったからである。
ボリーバル公園の近くにまず行った。そこから少し歩くと、いかにも生活臭に溢れた市場に出た。人通りも多い。
前日エバと回ったあたりは、博物館など観光客向けの施設ばかりで、十九世紀の空間に飛んでしまったような印象の地域だったが、ここは現実にコロンビア人が生きているという活気があった。ただ、人通りが多いだけに、スリやかっぱらいには注意しなくてはならなかった。
「片山さん。両替をしておきたいんだけど、どこかありますかね」
「それなら、わたしが利用しているレートのいいところがあるよ。そこ行こうか」
「はい。でも、トラベラーズチェックを両替したいんです」
「聞いてみるよ」
片山氏に付いていくと、「マネーチェンジ」とか「カンビオ(両替)」と看板を掲げた店が十数軒ある地域に出た。片山氏は、路地を少し入ったところにある一軒の両替屋の前に立った。
「ここがレートがいいんだ。女房も、いつもここで両替しているんだ」
わたしはトラベラーズチェックとパスポートを見せて、両替できるかどうか聞いた。だが、ドルの現金しか出来ないという。しかし、両替屋の若い男は、親切にもトラベラーズチェックでも両替できる店を知っているから、連れていってやるという。わたしはひょっとして、中間手数料を取られるのではないかと心配した。
だが、男に連れられていった店で両替すると、百ドルが十万二千ペソになった。ボゴタでドルの現金で両替したときが九万八千ペソだったから、チェックの方が率がよかった。
空港やホテルで両替するときも、チェックの方が若干率がいいが、チェックを作成するときに一%の手数料がかかる。それを考えると、どっこいどっこいだが、チェックは盗難のときに再発行できる。しかし、コロンビアのような国ではチェックで両替できるところは限定される。痛し痒しだった。
「リュージさん。チキンのおいしいところに行かないか。中国人がやっている店があるんだ。おやつ代わりにどうだ」
「いいっすよ」
片山氏に連れて行かれたところは、小さなカウンター形式の店だった。中華街によくあるように、赤色でごてごて書いたような看板はない。ぱっと見では何の店か分からないだろう。だが、カウンターの中に立っていたのは紛れもなく中国人の女性だった。二十二~三歳くらいだろう。
カウンターの奥には、すでにひとりの髭をはやしたコロンビアーノがチキンを食っていた。ふたりはスペイン語で会話をしていた。女性のスペイン語は完璧だった。おそらく何代か前にコロンビアに移住した広東系の華僑で、彼女自身はコロンビアで生まれ育ったのだろう。
わたしたちはチキンとコーラを注文した。出てきたチキンは、カリで食べたものとも、中華料理屋で出される鳥のから揚げとも違っていた。ケンタッキーとも、もちろん違う。隠し味が何か分からないが、おいしかった。
ボゴタの中華料理屋の春巻きも、日本や中国・台湾のものとは違ってコロンビア風にアレンジされていた。ここのチキンも、カルタヘナに根付くうちに多少変化していったのではないだろうか。
翌朝は九時過ぎに目が覚めた。パンとコーヒーで朝食を済まし、片山氏やエレーナたちと話しているうちに、昼飯どきになった。
「あー、腹へったな。ラーメンでも作るか」
片山氏が日本から持ちこんだラーメンを作り始めた。わたしには、外国に行くときに日本食を持って行くという発想がまったくない。日本食が食べたくて我慢が出来ないほど長期間にわたって渡航することはまずないし、その気になれば、ちょっとした都市なら日本レストランくらいあるだろう。万一なくても中華レストランに行って、チャーハンでも食べれば日本食への飢餓感は紛れる。第一、荷物になるだけだからだ。
出来あがったラーメンを、みんなで分けて食べた。住み込みのメイドも食べていた。まだ十七~八歳くらいだ。かわいらしさがあるのだが、インディオの血が少し濃いのだろう。色が黒くて、日本では商売にはならないタイプだった。日本に行ったことがあるのならともかく、こんな得体の知れないものを食べさせられて、本当は苦痛なのかもしれなかった。
「リュージさんがもっと早くカルタヘナに来ていたら、みんなでロサリオ島へ行こうと思ってたんだけどね」
「ロサリオ島って、遠いんですか」
「いや、近いよ。ここから船で一時間くらい。カルタヘナの海は、あんまりきれいじゃないんだよ。見たとおり。だから、ロサリオ島の方がきれいでいいんだ。でも、朝早く行って、夕方帰ってくるという一日ツアーなんだ。だから、今日はもう無理だ。一度見ておくといいんだけどね。明日、行こうか」
「でも、明日、ボゴタへ帰るんでしょ。午前十一時の便で」
「いや、あさって、直接ボゴタの空港に行って、そのまま日本に帰ろうと思っているんだ。リュージさんもいっしょにしないか」
「いや、わたしはエバのアパートにトランクを置きっぱなしにしているんです。明日帰って、荷物を片付けないと」
「そんなのエバに空港まで持ってこさせればいいじゃないの。こっちの方が面白いよ」
「でも、いろいろ頼まれているみやげ物も買わなくてはいけないし」
新宿のコロンビアレストランのママから、わたしはコロンビア料理に不可欠な「マサパン」というとうもろこしを挽いた粉を大量に買ってきてくれと頼まれていた。これは「アレーパ」という、コロンビア人にはパンに相当する主食の原料で、その粉を水で練ってフライパンで焼くというものだった。
主食になるものは、米でもパンでもナンでもそうだが、基本的に味がない。「アレーパ」も味がなくて、バターなどを付けて食べるのである。コロンビア料理にはほとんど抵抗のないわたしでも、コロンビアーナたちが好んで食べるこの「アレーパ」だけは、味がしないのでなじめなかった。
もうひとつ、わたしはチョコラーテという物も頼まれていた。これはカカオを原料としたもので、チョコレートと同じだと考えていい。ただ、砂糖を入れたものと入れてないものがあるらしく、わたしは砂糖入りを十本頼まれていた。これをお湯で溶かして、ココアのようにして飲むのだ。一度試してみたが、砂糖入りは日本人にはあまりにも甘すぎて閉口した。しかし、約束だったから、買って帰らなくてはならなかった。
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